「総菜論争」は半世紀にも及ぶ
1976年発行の『日本の民俗2 日本人の衣食住』(瀬川清子、河出書房新社)は、「午後五時すぎのターミナルのデパートに入ると、その食料品部には、勤めをおえて帰る男たちが、いろいろの副食物を買い漁っている風景に出くわす」、とどちらかと言えば批判的に時代が変化した様子を書いている。
男性が買っているところが興味深いが、それは当時まだ、都心でフルタイムで働く既婚女性が少なかったからと考えられる。彼らは独身か、妻に頼まれたかしていたのだろう。総菜はまだ、デパ地下ぐらいでしか潤沢に売られていなかった時代である。
また、時短レシピで一世を風靡した小林カツ代も1981年に出た『働く女性のキッチンライフ』(大和書房)で、たまにはお総菜を買ってもいい、と女性たちを応援する記事を書いている。それは、総菜を買う女性が増え始め、批判されるようになっていたことへの反論である。しかし、「買ってきたものをポンと容器ごと食卓に移しただけというのでは、やはり味気ないですね」とも書いている。その後1990年代には、新聞の家庭面で買うことを肯定したうえで、総菜を移し替えるかどうかが議論になっていた。
私たちは半世紀もの間、総菜を買える環境で暮らしながら、いまだに買っていいかどうか批判にさらされ、買ってきたものをそのまま食卓に出していいかどうかの結論も出せていないのだ。
働く妻の家事時間は働く夫の2.6倍
総菜論争が始まったのは、専業主婦が既婚女性の多数派だった時代が終わり、働く女性の割合が増加し始めた時期と一致する。そして今は働く既婚女性が専業主婦の倍以上いる。家族の誰かが、あるいは皆が家事を行わなければ生活は回らない。皆が分担すれば1人当たりの負担は軽くなるが、残念ながら日本では、現在に至るまで妻たちの負担が圧倒的に大きいのだ。
データでも、その実態は裏付けられている。2020年版の「男女共同参画白書」によると、仕事をする女性の家事時間は、子どもがいない夫婦世帯の女性が1時間59分で夫の2.6倍にもなった。また、クックパッドが2017年に発表した「おうちごはん白書2016」によると、週1回以上料理する人の中で、夕食を週7日作る人が45%も占めていた。近年の総菜論争の発端となるのも、おそらく料理を妻任せにしていて現場を知らない男性たちの発言である。