現代社会で「十七条の憲法」を守っているようなもの

イスラム教徒は、イスラム法であるシャリーアに従って生活を営む。イスラム法では、六信五行のような宗教的な信仰や実践のあり方についても規定しているが、同時にそこには、刑法や民法をはじめとする各種の法律にあたるような事柄も含まれている。

難しいのは、世の中で起こるあらゆる事柄が、イスラム法の基盤となる『クルアーン』や『ハディース』に書かれているわけではないということである。

しかも、神の啓示が下され、ムハンマドが周囲に伝えたのは7世紀のことである。すでに述べたように、日本なら聖徳太子の時代にあたる。それから社会は大きく変化してきた。とくに現代では、7世紀とはまったく違う社会生活が営まれている。

したがって、『クルアーン』や『ハディース』には示されていないような事柄やモノ、制度が現代ではいくらでも登場する。本書の4章でイスラム教徒の宇宙飛行士のことにふれたが、宇宙飛行など7世紀には想像もされていなかった。

聖徳太子は、「十七条の憲法」を制定したとされるが、イスラム法に従うということは、この十七条の憲法に従って現代生活を送るようなものである。

イスラム教には「合意」を成立できる組織がない

では、『クルアーン』や『ハディース』に示されていない事柄が生じたときにはどうするのか。

その際には、「合意(イジュマー)」と「類推(キヤース)」によることになっている。

「合意」とは、ある事柄が正しいことなのかどうか、イスラム教徒の共同体である「ウンマ」において意見の一致がなされているもののことをさす。

ただ、合意と言っても、イスラム教徒全体の数は膨大である。しかも、イスラム教には意思決定を行う組織がない。

そうである以上、合意が成立しているのかどうか、それを判断することは難しい。不可能にさえ思えてくる。

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たとえば、ムハンマドの後継者であるカリフを選出するときである。カリフになれる人物は、ムハンマドと同じクライシュ族の男性であるなど、いくつかの条件がある。ただし、その条件も公正であるとか、学識があるとか、かなり曖昧だ。

現在では、トルコ共和国の誕生によって消滅したカリフを再興しようとする動きもあるが、具体的にそれをどう実現していくか、そのプロセスにはかなりの困難が伴うことが予想される。

最近死亡した「イスラム国」の指導者、アブー・バクル・アル=バグダーディーは、自らがカリフであると宣言した。だが、それに賛同するイスラム教徒は一部にとどまり、とてもイスラム教徒全体で合意されているとは言えない状態にあった。

組織の発達したキリスト教のカトリックでは、その頂点に立つローマ教皇を選出する手続きが定められている。「コンクラーベ」と呼ばれる枢機卿による投票で決まる。

そうした仕組みは、組織のないイスラム教では確立されていない。イスラム教のあり方からして、仕組みを作り上げること自体が不可能である。