ネットをネガティブに語る専門家としてオファーが殺到

さて、ここからは私のメディア出演の実体験を述べていこう。2010年ごろ、インターネットはメディアとしての存在感を急速に高めていた。当時、テレビや新聞、雑誌といった旧来のマス媒体はインターネットの普及により自分たちの存在感が脅かされると考え、「インターネットの闇」や「インターネットの弊害」といった企画をあれこれ繰り出すようになる。そこで求められたのが、インターネットの実情を率直に語ることができる専門家だ。

しかし、インターネット事情に詳しい有識者は基本的にインターネットの可能性に期待している人が大半で、「もちろん危険な面はあるが、それを上回る利点がある」といった発言しかしない空気感があった。そんななか、ネットニュース編集者の私は2009年に『ウェブはバカと暇人のもの』(光文社新書)を上梓し、当時のインターネットを巡るユートピア論を真正面からぶった切った。ネットのおかげでメシが食えている人間だというのに、インターネットの負の側面を「これでもか!」と書き尽くしたのである。

「期待されているコメントを返さなければ」というプレッシャー

旧来型メディアからすれば「オレらの代弁者がついに現れた!」と映ったのだろう。私のもとには、出演依頼や寄稿依頼、コメント依頼が殺到するようになる。私もフリーランスのためしがらみがなく、フットワーク軽くホイホイとすべてのオファーを受け続けた。だが、程なく「相手が期待するコメントを返すよう、空気を読む」「企画の趣旨に反することがないよう、従順に立ち回る」ことにとらわれている自分を発見するのだ。

制作サイドから「今回は『インターネットを見すぎるとバカになる。本のほうが大切だ』みたいな話をしてください」などと言われると、「30分出演して3万円ももらえるからな……。まぁ、そういった側面は間違いなくあるしね」といった気持ちになり、若干自分の本心とは異なるが、その流れについ乗っかってしまう。

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加えて、テレビ番組は時間帯にもよるが、ひとつの番組を数百万人~1000万人超が視聴していることもあるわけで、ちょっとした発言ひとつにも多大なる影響力、そして責任が付いて回る。それを考えると恐ろしくて、むやみに過激な発言をしたり、世論の逆バリをしたり、番組の論調をひっくり返したりしてはいけないのでは……といった気持ちにもなるのだ。