選手とメディアの歩み寄りで生まれる「信頼」の空気
2009年全英オープンは、つらい敗北会見だった。59歳(当時)のトム・ワトソンが優勝に迫りながら、最後の最後にスチュワート・シンクに敗れ、史上最年長優勝は幻となった。
傷心のワトソンが会見に対応するのは、さすがに無理なのではないか。世界のメディアがそう感じながら待機していたら、ワトソンは会見場にやってきて、驚いたことに、静かな微笑みさえたたえていた。
その様子に、メディアはみな言葉を失い、会見場はしばし沈黙に包まれた。すると、ワトソンが自ら口火を切った。
「おいおい、お葬式じゃないんだよ」
ちょっぴり冗談めかして言ったワトソンの一言が、その場の重苦しい空気を和らげ、メディアはみな静かに苦笑。そして、穏やかな質疑応答へと移っていった。
そこには、メディアはワトソンを気遣い、ワトソンは自分に気を遣うメディアを気遣い、そうやってお互いが歩み寄ることで生まれた「信頼」の空気があった。
なぜ、勝てなかったのか。その原因や理由を問い詰めるのではなく、勝てなかった悔しさや哀しさ、情けなさ、あるいは勝者を讃えるスポーツマンシップといったワトソンの複雑な胸の内に、メディアが耳を傾け、静かに寄り添ったあの会見は、私にとっても忘れがたいものになった。
世界のメディアはDJの代わりにUSGAを厳しく批判
本来は喜びに満ちあふれるはずの優勝会見が重苦しい空気に包まれることもある。
2016年、難コースのオークモントで開催された全米オープンを制覇したダスティン・ジョンソンは、悲願のメジャー初優勝を達成したにも関わらず、険しい表情で壇上に座っていた。
最終日、5番のグリーン上でジョンソンのボールが「動いた」のか、それとも「動かしたのか」。その場で「無罰」と言ったルール委員の前言が試合途上で翻され、ホールアウト後に再検討した上で1罰打を科せられるという前代未聞の可能性をジョンソンは12番で告げられた。
1打を競うメジャーの優勝争いの終盤6ホールを、1罰打の有無が曖昧なままプレーすることになったのだ。しかし、その苦境を乗り越え、最終的には3打差をつけて勝利した。ジョンソンは、優勝会見で多くは語らず、静かにこう言った。
「存在していたのは僕とコースだけ。戦う相手はコースだけ。他のことは僕には何一つコントロールできない。(今は勝って)いい気分だ。実にいい気分だ。僕は勝者に値する」
曖昧な裁定をしたUSGA(全米ゴルフ協会)への恨み言すら口にしなかったジョンソンの姿勢に心を打たれた世界のメディアは、ジョンソンの代わりにUSGAを厳しく批判する記事を一斉に書いた。それが、翌日のUSGAによる謝罪会見へと、つながった。
そんなふうに会見という場と機会があったことで、選手とメディアの見事な連携プレーが生まれ、モノゴトを動かしたこともあった。