エゴ丸出しでアスリートを都合よく利用することは許されない
コロナ禍で「命より大切なものはない」と主張する人の気持ちはよく理解できる。
だが同時に、筆者は東京五輪がなくなることで、事実上“死”を迎えるアスリートがいることにも深く思いをいたさざるをえない。多くのアスリートはこれまで築いてきたキャリアのすべてを五輪にぶつけるだろう。だが、「中止」は文字通り命がけで選手としての名誉や生活の糧のために闘う気持ちを根こそぎ奪うことになる。
仮に、中止になれば、インターハイや夏の甲子園などの全国大会も軒並み取りやめに追い込まれる可能性も高い。コンサートや舞台なども同じだ。「五輪中止」判断にはそうしたリスクもある。東京五輪の開催有無は日本にとって、今後の大規模イベントが開催できるかどうかの“分岐点”になるかもしれない。
世界保健機関(WHO)で緊急事態対応部門を統括するマイケル・ライアン氏は5月7日、記者会見で「五輪開催がわれわれの希望だ」と話しており、今夏の東京五輪の開催を望んでいることを表明した。
五輪選手を政治利用? 金儲けの道具にしている?
実際のところ、五輪が本当に開催されるか、されないかはいまだ不透明だ。最後は、アメリカのメディアに“ぼったくり男爵”と揶揄されたIOC(国際オリンピック委員会)のバッハ会長、大会組織委員会の橋本聖子会長、小池百合子東京都知事、そして日本政府の菅義偉首相や丸川珠代五輪相らによって政治的な判断が下されることになるのだろう。
菅首相の狙いは、感染がたとえ収束しなくても五輪を実施してしまえば、国民は白熱した競技に熱中し、その余韻で今年実施される衆議院議員総選挙で自民党に有利に働かせようとしているのではないかとの見方もあるようだ。また、オリンピックの開催によってライセンスの収益や放映権料を手にできるためIOCのバッハ会長も金儲けのために感染状況に関係なく開催を強行するだろうと指摘する声も耳にする。
今、アスリートがすべきことは、そうした“汚れた思惑”に左右されることなく、本番を見据えてトレーニングに集中することだ。試合でパフォーマンスをフルに発揮し、その上で「東京五輪が見れてよかった、感動した」と多くの方に感じてもらえるように準備する。そのことに専念することだ。
では、日本国民はどうすればいいか。まず、日常を取り戻すためにも感染率をさらに下げる行動を続け、さらにいつ開催が決定されても困らないよう、ホスト国として世界から集まるスリートを温かく迎え入れる(徹底したコロナ感染対策を講じた上で)準備をすることが必要だと筆者は思う。
少なくとも、五輪を巡る「関係者」や「政治家」がエゴ丸出しでアスリートを都合よく利用するようことがあってはならないのと同じように、アスリートをSNSで指図したり誹謗中傷したりして精神的に“殺す”ような言動は厳に慎まなければならないことは言うまでもない。