「夫婦同姓は家族の一体感を表す」は本当なのか

さらに、男と女だけを夫婦とみなすと、同性のパートナー関係は家族ではなくなる。届け出を正式な結婚とみなすと、事実婚や婚外関係が正式ではないことになる。未婚で子どもを持つことに対しても、基準から逸脱しているという先入観で見ることになる。現実にはすでにさまざまな家族の形があり、固定した家族像は、それ以外の生き方を認めない息苦しい社会をつくり出しているのだ。

中村桃子『「自分らしさ」と日本語』(ちくまプリマー新書)

先に見たように、諸外国では夫婦同姓を強制していない。先日、夫婦別姓が当たり前の中国の友人に、「あなたは、姓が違うと家族の一体感がなくなるように感じますか」と聞いたら、何を言い出したのかという表情で笑われてしまった。どうやら、日本人の中に、夫婦同姓は家族の一体感を表していると考える人がいるのは、日本ではほとんどの家族が同姓だからだという単純な理由なのかもしれない。

これまで通り「姓」に束ねられた家族を基準とするのが良いのか、それとも、さまざまな関係も同じ家族として受け入れる社会が良いのか。これまで結婚したら女性が男性の姓を名乗ることが当然だと思っていた人も、「姓」が担ってきた家意識や国が名前を規制することについて考えてみる価値がありそうだ。

なぜなら、名前は、私たちのアイデンティティそのもの、最高裁も言っている通り、「人が個人として尊重される基礎」なのだから。

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