「家」はなくなったのに「同姓と戸籍」は残された

しかし、1946年に民主主義にもとづく日本国憲法が発布され、家制度は、「婚姻における夫婦の平等」(第24条)に違反するとして廃止された。妻の「無能力者」という法的地位も廃止され、財産は均等相続となり、子どもの親権も夫婦共同になった。「家」がなくなったのだから、姓は家ではなく個人の名称になるはずだった。

ところが、このときに二つのものが残された。ひとつは、夫婦同姓と親子同姓であり、もうひとつは戸籍筆頭者を置いた戸籍編製である。典型的には、夫を戸籍筆頭者として、一組の夫婦と、この夫婦と姓を同じくする子どもを単位とする家族単位の戸籍である。これまで「家」を象徴していた姓が、こんどは「家族」を象徴することになったのである。

このような家族単位の戸籍制度を持っているのは、世界でも日本や台湾などごく一部で、その他の国では個人単位の登録を行っている。

家族が屋根の下に集まる木の人形
写真=iStock.com/Andrii Yalanskyi
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有名人の「入籍した」という表現から見えること

姓にもとづく家族単位の戸籍が使われ続けたことで、法的には廃止されたはずの「家」が人々の意識の中に残ることになった。それは、戸籍が、多くの場合、夫である戸籍筆頭者を基準に他の家族が入籍したり除籍する仕組みになっているからだ。

子どもが生まれれば子どもは夫の籍に入り、夫婦が離婚すれば、妻が除籍され、子どもが結婚すれば、子どもが除籍される。これは、明治時代の家制度における戸主と家族の主従関係を思い起こさせるものである。

この「家」意識を具体的な形に表しているのが、姓である。たとえば、週刊誌の見出しで、有名人が「入籍した」という表現は、どのように理解されているだろうか。「女性が男性の家に入った」と理解されることが多いのではないだろうか。

しかし、現在の法律で想定されている結婚とは、女性が男性の家に入るのではなく、女性も男性も親の戸籍から出て、新しい戸籍を作るのである。今でも結婚が、「女性が男性の家に入る」と誤解されているのは、女性の婚姻改姓が家の変更と結び付けられているからなのだ。