“その先”を描かないのはごまかしではないか

そうした中、竹宮さんは、一つのアイデアを温め続けた。当時、少女マンガは、健康的な恋愛のみを描くよう編集者から要求された。「男女が出会ってハッピーエンドを迎えても、その先はない。あるいはいきなり『こんにちは赤ちゃん』みたいなファミリーものになっていた」(竹宮さん)。読者の少女たちもごまかしに気づき、精神的なものだけでなく肉体的なものも描いてほしい、と言う。だが、一方で露骨な肉体的な表現は嫌がる。

複雑な少女の心にどう応えたらいいのだろうか……。竹宮さんは、少女の代わりに美しい少年同士の物語として描けば、生々しくならず、少女たちに受け入れられる、と考える。「少女マンガのテーマってやはり愛でしょ、と言われますが、そうであるなら私にはこの表現しかない」。それを結実させたのが、『風と木の詩』だ。

hontoのアンケートでBLを読みたくなるのは「リフレッシュ/ストレス発散したいとき」という答えが多数を占めたが、元祖BLは、悩み苦しんだ中から生まれたのだ。

画像提供=ⓒ1976 Keiko TAKEMIYA

今のブームは「意外中の意外」

76年から連載を開始するが、世の中に出すことへの怖さがあったという。

「読者ターゲットは中学2年生でした。すごい反発があるかもしれないし、こんなもの汚らしいと言われるかもしれない。怖いけれど、これを世に問えないなら、私が漫画家をやっていても仕方がない、という気持ちすらあった」と竹宮さん。

『風と木の詩』は大ヒットし、少女マンガにはこういう需要があると、出版社も男性編集者も気づく。78年には女性の目から見た男性同士の愛を描いた耽美派雑誌「June」(マガジン・マガジン)も創刊され、竹宮さんはこの雑誌の表紙絵を担当する。BL市場が生まれ始める。

『風と木の詩』について、京大教授や文化庁長官などを歴任した心理学者・河合隼雄さんは「思春期の少女の内的世界をここまで表現した作品は、おそらくなかったのではないか」と新聞へ寄稿した。文化人たちのこうした評価を得て、苦闘の末に生み出されたBLは、マンガの表現形態のひとつとなり、今なお発展を続け、現在のブームを生む。

竹宮さんは、少年同士の愛という新たな表現手段で、少女たちの思いに応えたわけだが、ご本人は、現在のようなBLブームが起きようとは想像すらしていなかったという。「こんなふうに開けると全然思っていなかったので、意外中の意外。隔世の感があります」と語る。