日本初の「マンガ学科」教授に

扉はひらく いくたびも』では、BLだけではなく、昭和から現在に至るまでのマンガや出版業界、日本の社会の歩みや変化も取り上げている。

1950年代後半~70年代前半の高度成長期。出版社は好調で勢いがあった。64年東京五輪を前に、東京は高速道路やビルなどの建設が進み、急ピッチで姿を変えていく。そんな社会の様子が、竹宮さんの目や感性を通じて語られる。

写真=iStock.com/ansonmiao
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竹宮さんは50歳の時に、日本初のマンガ学科を創設した京都精華大学教授に転身し、2014年からは学長も務める。教授時代から、デジタル化という新たな動きに対応すべく、授業内容などに工夫を凝らした。そこも本書の読みどころのひとつだ。

日本発コンテンツの先駆者として

20年3月に京都精華大を定年退職したが、その後も新たな挑戦を続けている。今年3月に発刊した新版『エルメスの道』(中央公論新社)は、70歳にして初めてデジタル制作に挑戦した作品だ。パソコンとソフトを活用し、アシスタントも使わずに1人で描き上げた。年齢を重ねることで、ペンを握る力が弱ったり、目が悪くなったりするなどの肉体的な衰えを意識してのデジタル化でもある。これからもずっと描き続けていくための決断だった。

マンガ文化がどう変貌してきたかも、本書から読み取ることができる。現在の日本は、ICT(情報通信技術)で海外に遅れをとり、新型コロナワクチン開発でも出遅れるなど、国内産業は振るわない。そんな中、日本発コンテンツの代表格であるマンガへの期待は大きい。『扉はひらく いくたびも』は、戦後日本のマンガ文化を築いていたマンガ界の大御所による貴重な「証言」である。

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