いきなり少年同士のベッドシーンから始まり…

1976年、小学館の「週刊少女コミック」で『風と木の詩』の連載がスタートするが、いきなり少年2人のベッドシーンから始まるという衝撃的な作品だった。

掲載に至るまでの道のりは長く険しかった。竹宮さんは冒頭50ページをクロッキー帳に描き、さまざまな編集者に見せて掲載を打診したが、反応は冷たかった。特に冒頭のベッドシーンへの反発が強く、「別の穏当なもので話を始め、ベッドシーンは中盤に入れたらどうか」と言われることが多かった。

しかし竹宮さんはこだわった。「この物語を最も反映しているページを最初に持ってきたい。その形で始められないのだったら、意味がない」

『風と木の詩』
画像提供=ⓒ1976 Keiko TAKEMIYA

当時の少女マンガは、パターン化していた。1950年代後半~60年代前半の高度成長期、週刊マンガ誌が次々と創刊され、少女マンガでも、1962年に「週刊少女フレンド」(講談社)、63年に「週刊マーガレット」(集英社)、70年に「週刊少女コミック」(小学館)が誕生する。

当時、少女マンガ誌の編集者は男性ばかりで、「女の子はこういう話や絵が好き」など、男性目線で編集をしていた。マンガの登場人物やストーリーもパターン化していた。例えば、主人公はかわいそうな少女、健気な少女、美しく可愛い少女。病弱だったり、両親に早く先立たれたり、いじめにあったりなど、不幸が押し寄せる。読者に「このかわいそうな女の子を助けてあげたい」と思わせることが、人気を得るための秘訣と考えられていた。

冷遇された女性漫画家たち

そんな中、女性漫画家の間から「24年組」と呼ばれる女性たちが登場する。昭和24年(1949年)前後に生まれた女性漫画家のことで、竹宮さんのほか、萩尾望都さん、大島弓子さん、青池保子さん、山岸凉子さん、ささやななえこさんなどがいる。こうした若い女性漫画家たちが、少女マンガの世界に変革をもたらす。

扉はひらく いくたびも』の読みどころのひとつは、この時代の女性漫画家がどのような地位に置かれ、何を考え、それをどう変えてきたかというところにある。

当時、女性漫画家は、男性漫画家より低く見られ、原稿料も安かった。結婚するまでの腰掛仕事のように言われ、使い捨てのように扱われもした。

「24年組」と呼ばれる若手女性漫画家たちは、そんな「常識」を覆していく。竹宮さんは「男性編集者が女性漫画家たちに指示するのは、彼らが売れ筋と考える絵やストーリー。それは結局、男性に分かる範囲が決まっているということなんですよね」。その結果、ひとつヒット作が出ると、似たような作品がいっぱい出てくることになる。