それは容易なことではない。とくに「自信満々」の白人層が一度自信を喪失すれば、その取扱いはますます厄介になる。
たしかに、19世紀のフロンティア消滅期や20世紀初めの大恐慌時代以降、多くの米国人が自国の経済的発展に限界を感じ、自信を喪失して、米国の「内向き傾向」が強まった時期は何度かある。その都度「理念」が「現実」に駆逐され、国内で利益配分をめぐる争いや混乱が生じてきたことも事実だ。
日本も、米国の「自信喪失」現象を過小評価せず、米国とともに自国経済社会の再活性化を図るべきである。
「懸念するのは日本のほうだ」
それでも米国について、筆者は楽観的だ。これまで米国人は、フロンティアの消滅を「海外進出」により、また大恐慌を「技術革新」により、いずれも力強く危機を乗り越えてきた。米国という豊かな国の移民の子孫たちには新たな試練を乗り切る力が十分ある、と筆者は考える。
むしろ懸念するのは日本のほうだ。1945年以来現在に至るまで、東アジアで日本は世界のどの国よりも恵まれた安全保障環境のなかで安住してきた。われわれは痛みを伴う改革や長年の宿題に手を付けなくても、経済的繁栄を享受できたからである。
ところが21世紀に入り、日本にとって理想的な安全保障環境は失われた。日本人は、これまで積み残してきた制度改革を自ら進めざるをえない状況に追い込まれている。