期待の裏返しの厳しい言葉にどう応えるか

そうしていよいよ組織を背負って立つ人材になったとする。すると、ほめられることは少なくなり、逆に叱責されることが増えるだろう。「ちくしょう」と思うかもしれない。しかし、その非難こそ一流になったあかしなのである。むしろ喜ぶべきだ。

なぜなら、一流になれば当然求められるレベルは高くなる。それまでと同じ結果を出すだけでは、周囲は満足しない。だから叱責する。叱責されるのは「もっとできるはずだ」という期待の裏返しなのである。

したがって、非難されたからといって、「もうダメだ」と気落ちしている場合ではない。「悪いのはおれじゃない」と不平を口にするのは、もっといけない。「いまに見ていろよ」「見返してやる」と考えることができれば、その人間はさらに伸びる。

繰り返すが、無視されているうちは三流、ほめられるようになってようやく二流、非難されてはじめて一流といえる。段階ごとにいかなる反応を示すかで、その人間の評価は決まるのだ。

勝利の女神は「言い訳」が嫌い

勝利の女神がもっとも嫌うものはなにか。長年、勝負の世界で生きてきた私はこう思う。

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「言い訳である」

失敗したとき、自己弁護したり、他人に責任を転嫁したりするのを、勝利の女神はもっとも嫌っているように私には見えるのだ。

「言い訳をするは易く、言い訳を聞くは腹立たしい」というが、私も同感だ。人間は自分がかわいいから、つい言い訳をしたくなるものだ。しかし、言い訳ほど聞いていて見苦しく、腹が立つものもない。

失敗を認めるのがつらいのは私とて同じだ。できることならそのまま見過ごしたいし、叱責されれば原因と責任を自分以外に転嫁したくなる。

しかし、失敗を認め、現実ときちんと向き合い、反省し、取り組み方を変えなければ、同じ失敗を繰り返すことになる。そんな人間とは、誰も一緒に仕事をしたいとは思わない。そして、どうやら勝利の女神はとりわけその傾向が強いようなのだ。