ゴーン元会長が「留守」の間、日産を陰で取り仕切るように

志賀氏は公判で2011年2月ごろ、小枝氏から「減額は気の毒。ゴーン前会長の退任後に(受けとらなかった)報酬を支払う方法を考えよう」と提案を受けたことを証言している。

志賀氏は退職慰労金の名目で退任後に報酬を後払いする方法を提案したが、小枝氏も別名目で後払いする方法を提案。結局、ゴーン元会長は小枝氏の案を採用したとされる。

また、小枝氏は、日産が指名委員会等設置会社に移行すると、「口うるさい社外取締役や監査役を嫌った」(志賀氏)ゴーン元会長の意向をくんで、レースクイーンからレーシングドライバーに転身した井原慶子氏を招聘しょうへいするなど、「形だけのガバナンス体制」(大手証券アナリスト)を敷いた。ゴーン元会長がルノーのトップも兼務し、日産を「留守」にする日が増える中、実質、日産を陰で取り仕切ることになる。

「保身のためカメレオンのように主義主張を変える」

その後、ルノーの経営が低迷し、業績面で日産の立場が強くなると「ルノー支配からの離脱」を画策するようになる。実際、公判の中でも小枝氏は「(ゴーンは)10年もいたので辞めていただいて結構だと思っていた。そろそろ日産を退任していただいて問題ないと思っていた」と述べている。

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さらに小枝氏の「子飼い」である西川氏が自らの役員報酬に関するストックオプションの制度を社内ルールに違反する形で運用し、本来得られる額より4700万円ほど多い額を受け取っていたことが判明、内外から辞任を迫られると、小枝氏は「西川氏を最後までかばい続けた」(日産幹部)とされる。

この日産幹部は小枝氏をこう切り捨てる。

「日産時代は歴代社長にすり寄り、ルノーに身売りされるとルノーから送り込まれたゴーンにつく。ゴーンが弱ると子飼いを配下に置き、権力の座に居座る。世渡り上手と言えば聞こえはいいが、自らの保身のためにはカメレオンのようにころころ主義主張を変える」