一度できた思考のフレームを変えることが難しい

厄介なのは、カーネマンに言わせると、一度思考のフレームが出来上がってしまうと、別のフレームを与えられても(カーネマンの例でいけば、死亡率でなく生存率というフレームに変更、コロナの例でいけば、感染者数でなく死者数に変更)、異なる判断をする人がまずいないだろうということだ。

フレームの再構成(リフレーミング)には大変な努力とエネルギーを要するので、リフレーミングしなければならない明白な理由がない限り、私たちの大半は、意思決定問題を当初フレームされた通りに受け身的に受け入れるということだ。

一度できた思考のフレームはそれほど変わることが難しいものなのだ。

現在の、コロナ対策の判断を「感染者数で行うフレーム」が正しいのか間違っているかは私にはわからない。しかし今後、ワクチンが普及すると、このフレームが新しい判断の邪魔になる可能性は大きいと見ている。

写真=iStock.com/Ridofranz
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ワクチンというのは、インフルエンザワクチンの時によく言われるように、感染者を減らすことより、感染した際に重症になりにくくするという効果が期待できるものだからだ。

現在認可されているコロナのワクチンは、コロナウイルスに暴露した際に、PCR陽性率も下げることは報告されているだろうが、ゼロにはできないし、かなりの数の陽性者は残るだろう。

ただ、ワクチンの普及によって、コロナが死を招くリスクは大きく下がる。

ワクチンが普及し、死者数が激減しても、感染者数を気にするフレーミングが続き、いつまで経っても市民生活に規制(これに副作用があるのは前述の通りである)が続くのではないか……。そんな私の不安が杞憂きゆうであってほしい。

ついでにいうと、読者の皆さんには、この機会に自分の判断のフレームワークをコロナ問題に限らず、誰かの受け売りではなく、自分の頭で考え内省する習慣をもってもらえると幸いである。

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