「アジカン」として伝え続けてきたこと

後藤はコロナ禍の時代に、「お互いの肩をやさしくたたき合う社会を望む」とも発信する。振り返れば2003年に発売されたアジカン1stアルバムのタイトルは『君繋ファイブエム』。この独特の語感とタイトルは、人が繋がっていると実感できる距離感を5mと捉え、「君」と「僕」は一対一なのだと説き、多くのファンを魅了した。

デビュー10周年のあるインタビューで、後藤がこう語っていたのが印象に残る。

「十年たっても「自分たちがつくったものに ちゃんと感動しましょう」というバンドを始めた当初の気持ちを保っている』

アジカンの特徴は音に宿る情感と言葉のリズム、この2つのバランスが抜群に優れている点にある。極力英語を使わず、詩も縦書きで書き留める。エッセイストとしても活動する後藤が紡ぐ言葉は、何より「日本語としての質感」にあふれている。それは、借り物ではない日本語独特の様式と長い時間向き合い、言葉から逃げない、表現することから逃げない、その作業をまずたゆまず繰り返してきたからこその結果である。

「大人たちこそ音楽をもっと楽しんで」

後藤はこう語る。

「大人達にもっと音楽を楽しんでほしいと思うんです。友達を見ていても、子育てが忙しくなるとどうしてもコンサートに行く余裕がなくなるのは分かるんだけど、そこからライブに帰ってきてくれないのが寂しい。

この間、ハイスタ(Hi-STANDARD)のライブに行ったら、昔好きだった人たちが戻ってきていました。ツアーでドイツに行った時にライブを見に行ったんですけど、2階席に家族連れが多くてびっくりしました。ライブを親子で楽しむことが浸透して、自分の子どもたちと好きな音楽を共有する、そんな文化が日本でも根付けばいいのにと思います」

筆者も、ハイスタのライブでペアルックで盛り上がる親子や、「間に合った……」と仕事終わりのスーツ姿で駆けつけるサラリーマンを見かけたことがある。“大人”にこそライブに戻ってきてほしいと願う後藤。そのきっかけとして、久しくアジカンの曲に触れていない人にこそ、今作『ダイアローグ/触れたい 確かめたい』を手に取ってもらいたい。

アジカン然り、年代を問わずシーンを賑わすアーティストの多くは、もれなくライブハウスのステージを踏んできた。見方を変えれば、ライブハウスがシーンの礎を支えてきたという構図が浮かび上がる。文化発信の場であり、地域のセーフティーネットでもある空間。ライブハウス=感染源、3密の温床のように報じられた今こそ、縁の下で果たしてきたその役割を考えるべきなのではないだろうか?

後編は、コロナ禍における“配信全盛時代への違和感”を、後藤に聞いた。(つづく)

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