鬼滅の死生観「老いも死ぬことも人間という儚い生き物の美しさだ」
映画のクライマックスでは、柱(鬼殺隊の最高剣士)である煉獄杏寿郎(れんごくきょうじゅろう)は、鬼の猗窩座(あかざ)に致命傷を負わされる。その闘いの際、猗窩座に「鬼になろう」と誘われる。しかし、杏寿郎は「老いることも死ぬことも、人間という儚い生き物の美しさだ。老いるからこそ死ぬからこそ、堪らなく愛おしく尊いのだ」と延命を拒絶し、観客の涙を誘った。
この映画は大正時代を主な舞台にしているせいか、若くして病死するキャラクターが多い。炭治郎の父も、杏寿郎の母も幼い子どもを残して病死する。最強剣士である継国縁壱(つぎくによりいち)の妻「うた」は、流行り病で家族を全て失って唯一人生き残っている。
約100年前、大正7~8年(1918~1919年)に流行したスペイン風邪は日本を含む世界全体で約1億人の死者を出したと言われる。国内でも「一村全滅」と報道されるような集団感染事例もあったので、近代医学前の感染症と人間の関係はこのようなものだったのだろう。
登場人物たちも身内の病死を悼みつつも運命と受け入れており、政府や他人を責めることはない。「人の命は有限で儚(はかな)い」ことが今よりもはるかに浸透していた時代だったのだ。
一方で、「鬼滅の刃」に登場する鬼のラスボスに相当するのが鬼舞辻無惨(きぶつじむざん)である。平安時代に鬼となった後は、人間を喰い続けることで1000年以上も生き続けている。「生きることだけに固執している生命体」であり、自分が死なないためには手段を択ばず、部下や主治医や養母さえも惨殺してしまう。
日本社会が目を背けてきた終末期の問題がコロナで一気に露見した
11月中頃から各地で「コロナ感染者数が過去最多」報道が相次ぎ、コロナ「第3波」の到来が明確になった。同時に、「Go Toキャンペーン」の妥当性について政治関係者が騒がしい。「コロナ第3波」は世界の各地で発生しており、日本の「感染者15万人、死者2240人」という数値は、米国の「感染者1400万人、死者28万人」(いずれも12月4日時点)など諸外国に比べれば防疫にある程度成功しているようにも見えるが、政治家や行政関係者を非難する声は絶えない。
日本における第3波の特徴は、医療機関や介護施設における大規模クラスター(感染者の集団)の発生が目立つことである。死者の多くは高齢者であり、厚生労働省が発表した11月18日の集計結果だと「死亡例1857人中、80代以上が59%、70代が26%」と「死者の85%が70代以上」である。