霞が関はメディアが騒ぐほどの弱者でもなければバカでもない

“菅人事”を全面的に擁護するコメントをする彼だが、“霞が関の萎縮”についてはどう見ているのか。

「霞が関の役人たちに萎縮があるとすれば、それは、役人の側の『私心(出世願望、上昇志向)』が『公益(上奏してでも正しいと信ずることを主張しよう)』よりも優っているからです。極端に言えば、萎縮=私心の現れであって、役人のしようもなさを物語っているとも思います」

財部誠一『冷徹と誠実 令和の平民宰相 菅義偉論』(KADOKAWA)

だからといって人事権を振りかざしてよいというものでもないが、人事権の行使を否定・封殺しては、政権として責任ある政策遂行ができないのも事実なのだろう。菅との距離がさほど近くはないもう一人の現役局長にも、同じ質問をしてみた。

「安倍政権では菅さんの人事にばかり世間は焦点を当てていましたが、官邸官僚の存在が事態をややこしくしていました。省内の若手は経産省出身の官邸官僚に対して反発したり、彼らに何も抗弁できない幹部に対する批判もあった。菅政権になり、経産省出身の官邸官僚は一掃されてスッキリしましたが、国交省出身の官邸官僚が一人残った。彼は菅さんの信頼厚い役人で、人事にも少なからぬ影響力をもっています。菅さんの人事の手法よりも、こちらのほうが気になります」

ことほどさように霞が関の菅人事に対する見方も多様なのである。「萎縮=私心」の現れだという考え方は官僚としての矜持だろう。霞が関はメディアが騒ぐほどの弱者でもなければバカでもない。悪しき前例踏襲主義の打破を政権の看板にすえる菅と、前例踏襲が文化になっている霞が関との葛藤だと考えるべきである。

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