「平均的な日本人のための政党である」という努力をすべき

そもそも、属性に関係なくすべての人が普遍的な尊厳を保ちながら生きていくことができるというリベラルな社会を本気で実現しようとするなら、本来政権交代(新陳代謝)が必要なのだ。そして、政権交代のためには、幅広い人々に訴えうる統合的な国家ビジョンの提示が不可欠だ。それをやらないのであれば、政権交代への意欲はその程度のものと見透かされても仕方ない。

アイデンティティ・リベラリズムは、自分たちの要求を政治権力や民主政の過程で実現させることとは正反対の行動をとっている。リベラルの野党勢力は、もっともっと良い意味で「自分たちが平均的な日本人のための政党である」とより多くの人に思わせる努力をしなければならない。

アイデンティティの政治やグローバリゼーションへの処方箋として構築すべきは、誤解を恐れずに言えば、ナショナル・アイデンティティである。これは民族的なアイデンティティや狭矮なナショナリズムでもない。

ナショナル・アイデンティティを再構築すべき6つの理由

ナショナル・アイデンティティを再構築すべき理由として、政治学者フランシス・フクヤマは6つの理由を挙げる。

まず、何より国民の物理的安全のためである。ナショナル・アイデンティティを喪失し、国内の分断が深刻化すれば、行き着く先は内戦である。

2つ目は政府及び公的権力の質の維持のためである。真に包摂的なナショナル・アイデンティティがない社会では、公的な職務に属する人間は、自分に近いアイデンティティ集団に有利になるように公的資源を投入したりするだろう。お友達優遇、どこかの国でよく聞く話だ。

3つ目は経済の持続可能な発展のためである。ナショナル・アイデンティティにより、国民一人ひとりに自らが社会の成員であるという意識と、誰もが社会の成員であるという意識が涵養されれば、上位1%の富裕層のために99%が搾取されるような社会構造を転換するきっかけがつかめるかもしれない。

4つ目は、広範囲の「信頼」の醸成による社会の共通課題への理性的な討議のためである。各アイデンティティ集団の数だけカスタマイズされた信頼が存在し乱立しても、集団間での協働にはつながらない。一方、共通のナショナル・アイデンティティという信頼に支えられた人間同士の間では、同じチームのメンバーとして、協力や対話という交流が交わされる。