「極端な人」が多く見える理由

しかし考えてみると、これはちょっとおかしい。なぜなら、現代社会ではネットを利用していない人はほとんどいない。「ネットユーザ≒社会にいる人」のはずで、ネットだけに怖い人が多いというのは実に奇妙だ。

なぜネットでは、このような奇妙な現象が起こるのだろうか。そのメカニズムを、最新の統計学や科学は解き明かしつつある。そしてその背景には、次の4つの「ネットが持ってしまっている根源的な特徴」が存在しているのだ。

①「極端な人」はとにかく発信する
②ネット自身が「極端な人」を生み出す
③非対面だと攻撃してしまう
④攻撃的で極端な意見ほど拡散される

最も大きい要因が、ネットの言論空間とは、極端で声の大きい人ほど、誰にも止められることなく、大量に発信できる場ということである。

「極端な人」は、当該問題について強い関心を抱いていたり、想いを持っていたりすることが多い。例えば、極右の人は政治というテーマについて確固たる考えを持っており、自分の政治信条について強い想いを持っている。往々にして、政治に全然詳しくなくて極端になったというよりは、かなり調べており、そのうえで極端になっていることが多い。これはもちろん、反対の極左にもいえることだ。

ネットには「発信したい人しかいない」

一方、中庸な意見を持っている人は、それほど強い想いを持っていない。自分の考えを多くの人に伝えなきゃという使命感にかられるようなことはないし、そもそも当該問題に関心の薄い人も多いだろう。

さて、ここまでは社会もネットも変わらない。しかしここから、ネットのある特徴が、ネットを「極端な人ばかり」にするのである。それは、ネットには「発信したい人しかいない」という特徴である。

例えば、よくテレビや新聞でやられるような世論調査では、電話を使って質問をして意見を収集する。この時、回答者は無作為に選ばれた人が、聞かれたから答えている状態である。つまり、受動的な発信だ。近年では回答者の選択方法に課題を指摘されることも多いが、ある程度社会の意見を反映した結果にはなっているだろう。

また、通常の会話においても、発信は能動的なものと受動的なものが入り混じる。もちろん、強い想いを持って発言をすることもあるが、話し相手がその話題に関心がなければ空を切るだけで、やがてその会話は終わる。また、会議やディスカッションの場であれば、あまりに話し過ぎていたら司会に止められる。そのうえ、時には相手から質問を受けることもあるため、受動的に発信することもあるわけだ。