当たり前のことが、いまだに実現していない
「PCR検査論争」については、8月19日に刊行した高橋洋一氏との共著『国家の怠慢』の冒頭で論じた。結論は、
・他方で、「検査を増やすべきでない」との主張も極論、
・なすべきことは「必要な検査ができるよう検査能力の拡充」、
ということだ。
当たり前じゃないかと感じる人も多いだろう。本のもとになった対談を行った当時(対談は何度かにわけて行ったが、このくだりは4月)、正直いうと「本が出る頃には当たり前すぎて、つまらない話になっているのでは」と心配していた。残念ながら、本にとっては良かったのかもしれないが、杞憂だった。今もなお、PCRをはじめとする「検査論争」(抗原検査、抗体検査も含め)は続いている。
結論は出ているのに、マスコミや国会の「全員検査」論は収まらない
政府の検査方針は明確に示されている。7月の「新型コロナウィルス感染症対策分科会」提言を受け、以下のように整理された。
2)無症状で感染リスク・可能性の高い者(濃厚接触者、感染拡大地域・組織などに属する者、医療機関・高齢者施設、海外からの入国者など):検査を拡充
3)無症状で感染リスク・可能性の低い者(特に感染が疑われる事情はないが不安なので検査希望など):感染拡大防止の効果は低いが、自費での検査はあり得る。
この方針に沿って、当面はインフルエンザ感染期に備えた「抗原検査一日20万件」の確保(8月28日発表)など、検査体制の拡充が進められている。
3)の検査がなぜ意味が乏しいかは、分科会提言の中で説明され、専門家による解説も数多くなされている(一例を挙げれば、https://toyokeizai.net/articles/-/373155)。ここで詳しくは繰り返さないが、私なりに言えば、この検査は「感染者をできるだけ見つける」ための検査(3割程度の見落としは生じる)であって、「非感染の証明」には使えない。だからターゲットを絞って「必要な検査」を行うべき、ということだ。私からみれば、至極もっともな整理であり、「PCR検査論争」はこれでもう決着のはずだ。
ところが、マスコミや国会での「全員検査」論は収まらない。予算委員会の閉会中審査では、参考人招致された専門家が「感染集積地では全住民検査。それ以外の地域ではいつでも誰でも無料検査」を提唱(7月16日予算委員会での児玉龍彦氏配布資料)。その具現化を目指す「世田谷モデル」が脚光を浴び、迷走しつつも期待を集めている。「PCR検査」はいまだに一大争点のままだ。