「このまま引退かも」42歳の弱気

その日をできるだけ延ばしたくて、大いに悩んだ時期があった。42歳の頃だ。

南海ホークス(現福岡ソフトバンクホークス)で選手兼監督をしていた時期だが、沙知代との交際が明るみになり、監督を解任されることになったときだった。「もっと野球をやりたい、俺はまだ野球ができる」と思っていた。

しかし南海を出て行くとなると、本当に野球を続けられるのか不安に襲われた。移籍できなければ、このまま引退かもしれない……。弱気の虫が顔をのぞかせた。

晩節を汚すだけ? いいや、「生涯一捕手」だ

そんなとき、声をかけてくれた球団があった。ロッテオリオンズ(現千葉ロッテマリーンズ)だ。年俸は南海の頃の8分の1ほどになると言う。周囲の人間は、「晩節を汚すだけだ」と言って反対した。

野村克也『老いのボヤキ 人生9回裏の過ごし方』(KADOKAWA)

悩んだ私は、尊敬する評論家の草柳大蔵先生に相談した。草柳先生は沙知代が紹介してくれた方で、私は師と仰いでいる。草柳先生は、「大いにやるべきでしょう。禅の言葉に“生涯一書生”という言葉があります。人間、何かを求めている限り、生涯勉強です」と言ったのだ。その言葉を聞いて、迷いが一瞬にして去った気がした。

「それでは私は“生涯一捕手”でいきます」

私の言として有名な「生涯一捕手」は、このとき生まれたのだ。

結局、私はロッテに選手として移籍した。翌年には西武ライオンズ(現埼玉西武ライオンズ)に移籍すると、2年間プレーしたのちに引退となった。

せっかく現役を続けられるチャンスがあるのに、それをしない理由はない。やっぱり野球が好きなんやな。どんな状況、どんなチームであっても、自分の体が動いて、必要とされる限り、一捕手としてその人生を全うしたい。ボロボロになっても、最後まで一捕手としてありたいと願っていた。

捕手=キャッチャーは、非常に面白いポジションだと思っている。知れば知るほど奥が深い。その面白さに気づいたのは日本シリーズを体験してからだ。1球も失敗できない。打たれたら終わり。そのギリギリの駆け引きが実に面白かった。30歳以降にそれに気づいたから、もっともっと捕手を究めていきたい気持ちがあった。

生涯一捕手である思いは、84歳の今も変わらない。野球を見るときはキャッチャー目線で見るのが常だ。だから、「今のリードはおかしい」など、捕手に対するボヤキが止まらない。「俺だったらどうやってリードするか?」と考えを巡らせる。捕手としての学びはいまだ続いている。