「地位もない」
  「財産もない」
  「家族にも恵まれなかった」

これは当時の一般的な基準からしても、まったく不遇な晩年に他ならない。いわば、それ以外に自慢できるものが何もない境遇における、ギリギリの幸せを、老人は口にしていたわけだ。

これは現代でも、事情は同じではないだろうか。「男尊女卑」的な発言をする人々というのは、往々にしてそれしか威張りようのないタイプだったりもする。

しかし、そんなマイナスな考え方でも、使いようがあれば使ってしまえというのが『列子』の考え方なのだ。

人というのは、社会における自分の位置づけ――「勝ち組」や「負け組」「中流」のどこに当てはまるかを考える時、どうしても他人との比較に頼ってしまいがちだ。ビジネス雑誌で、年収の特集号の売れ行きが良いのは、端的な例だろう。

そんな時、上ばかり見ていては、プレッシャーがかかるばかりだし、嫉妬などのマイナス感情にかられてロクなことがない。また、少しでも上に這い上がろうと頑張ってしまう気持ちが、心を壊してしまうこともある。

ならば、自分よりも不幸せな人々だけを見て、心のやすらぎを得るのも一つの手になるわけだ。

もちろん、これは差別の薦めなどでは一切ない。あくまで、心の目線を下向きにしておけば、心は安定する、そんな弱者の後ろ向きな知恵なのだ。