“王国”が崩壊したナベプロを思い出す
かつて、私が週刊現代の編集者時代に、ジャニー喜多川社長の「性癖」について初めて触れた時、事務所側は「今後一切講談社の雑誌にうちのタレントは出さない」と通告してきた。
困った社は、私を他部署へ異動させることで事務所側と和解した。それと同じ手口を、テレビ局にも使って、何十年も支配してきたのだ。
ジャニーズの没落を見ていると、かつて王国といわれた渡辺プロダクションが、落ちて行った時のことを思い出す。
ハナ肇とクレージーキャッツ、ザ・ピーナッツ、中尾ミエ、伊東ゆかり、園まり、ザ・ドリフターズ、沢田研二、布施明、森進一、小柳ルミ子、天地真理、キャンディーズなど、綺羅星のごとくスターを抱えた通称“ナベプロ”は、タレントたちのマネジメントだけではなく、テレビの制作にも関わるようになる。
記憶に間違いがなければ、私が大学生だったときにナベプロは「大卒を採用する」と発表した。学生生活のほとんどをバーテン稼業に費やし、成績最低だった私は、就職に関心はなかったが、ザ・ピーナッツが好きだったから、彼女たちのマネージャーもいいなと考えたことがあった。
今は、大卒採用は当たり前なのだろうが、当時、芸能プロダクションが大卒を採るというので大きな話題になった。
強大な権力を持ったナベプロは、テレビ局を支配するようになる。待遇などに不満を持ち、ナベプロを離れていくタレントたちには、「あいつは使うな」とテレビ局に圧力をかけ、テレビに出させないようにしてしまう。
横暴に腹を据えかねた日テレと対立
ノンフィクション作家の軍司貞則は『ナベプロ帝国の興亡』の中で、ナベプロは、時の権力者である佐藤栄作や中曾根康弘、財界の大物・五島昇など政財界人のところへ人気タレントを総動員して、勢力を広げていったという。
佐藤栄作首相(当時)の別荘でハナ肇に、「今日もお酒が飲めるのは、おとうさん(佐藤栄作)のおかげです。おとうさんありがとう!」と音頭をとり、クレージーキャッツや中尾ミエに唱和させ、佐藤の機嫌をとったことがあると記している。
だが、驕るナベプロは久しからず。ナベプロの横暴に腹を据えかねた一テレビ局の反逆で、王国は崩壊していくのである。
1971年から日本テレビが「スター誕生!」というオーディション番組を始め、次々にスターを生み出していた。初年度に森昌子、2年目に山口百恵がデビューし、堀威夫が立ち上げたホリプロに所属させた。桜田淳子もスタ誕の出身である。