これに対抗してナベプロはオーディション番組『スター・オン・ステージ あなたならOK!』を月曜日夜8時からNET(現テレビ朝日)で始めた。この時間帯は日本テレビの歌番組『NTV紅白歌のベストテン』と重複していたため、「裏番組には同じ事務所のタレントを出さない」という業界の不文律があり(今もいくらか残っている)、『歌のベストテン』から自社のタレントを引き上げてしまったのである。

「うちのタレントがほしいなら放送日を替えりゃいい」

日本テレビ側は慌てて、ナベプロの渡辺晋社長に協力を求めたが、渡辺はこううそぶいたのである。

「うちのタレントがほしいのなら、日本テレビの『歌のベストテン』が放送日を替えりゃいいじゃないか」

当時の日本テレビ制作局次長だった井原高忠が、この発言に激怒して、「ナベプロとの全面戦争」を敢行したのである。

井原はホリプロのほか、田辺エージェンシー、第一プロダクション、サンミュージックに対して、「渡辺プロのタレントは今後日本テレビに出演させない」と宣言し、「『スター誕生!』でデビューしたタレントは各社に渡す」と協力を求めたといわれる。

結果、ナベプロの番組は半年で打ち切りとなり、日テレが全面勝利したのである。かくして栄耀栄華を誇っていたナベプロは凋落していくのだ。

公取委はジャニーズ商法を根底から揺るがした

マネジメントだけではなく、番組制作にも関わる。人気アイドルグループと抱き合わせで、これから売り出そうとするグループを出演させる。ちょっとでも反旗を翻すテレビ局には自社タレントを出さないと恫喝する。事務所を出て行った人間はテレビに出さないように圧力をかける。

ジャニーズ事務所は1962年に、渡辺プロダクションの系列会社として創業されたため、ナベプロ流のやり方が踏襲されていても不思議ではない。

歴史は繰り返すのである。発端はSMAP3人の退所だった。ジャニーズ事務所側がテレビ局に圧力をかけ、3人を出さないように求めたことは想像に難くない。

あっという間に、3人の姿はテレビから消えてしまった。「事務所を離れたらSMAPでさえも干される」。所属タレントたちは恐怖を植え付けられた。

しかし、公取委からの注意はジャニーズ商法を根底から揺るがしたのである。元SMAPの3人は、巨悪と戦ってきたヒーローとなり、今では、ジャニーズのタレントたちと共演するまでに“復活”した。

これを見て、関ジャニ∞の渋谷すばる、中居正広、NEWSの手越祐也、そしてTOKIOの長瀬智也が、晴れ晴れとした顔をして堂々と退所を宣言していったのである。