メディアに追い込まれた人は「自粛警察」になっていった
僕は、メディアの嘘に騙されず恐怖もなく安心して電車で通勤し診療を毎日つづけた。患者さんたちを安心させたくて、緊急事態宣言が発令される前の3月28日に「たとえ感染者数は激増したとしても軽症の人がほとんどで死亡者数もあまり増えないと思う。患者数が増えるかもしれない、医療崩壊するかもしれないという不安だけをあおる良くない報道がなされている」と記した。今となっては、良い思い出だ。
イギリスの呼吸困難の女性など海外の医療機関の恐ろしい映像はながれるのに、日本の医療機関の阿鼻叫喚の映像はとんとお目にかからない。4月上旬は、海外と日本の違いを指摘せず「2週間後はNY」が合言葉だった。再度テレビ局からコロナウイルスが恐ろしいことを伝えたいのでクリニックを取材させてほしいという連絡があったのもこの頃だ。マスクを始め買いだめにみんな走った。今はフェイク終了後の静けさが戻っている。
私たちが、コロナ騒動で得たものは多い。
メディアは国民を守るということに主眼は無いということに多くの人が気づいたのが最大の収穫だと思う。私たち国民に事実を上回る恐怖を巻き起こし、追い込まれた人は「自粛警察」になり、その中には人の家に石を投げ込んだ人もいた。メディアはそれをしたり顔で戒める。そうしたマッチポンプを国民は観察してきた(※7、※8)。
政府はなし崩し的な対応と自粛要請しかしなかった
良いこともあった。どの人にもどこでも医療が保障されている日本の保険医療が継続して維持されていることを見直してもらえたかもしれない。幼少期から高齢者までワクチン接種も保証されている。保険システムから落ちこぼれてしまった人に大流行することもなかった。NYやシンガポールでは、医療システムからこぼれ落ちてしまった人々にパンデミックが起きた(※9、※10)。
普段からの医療費を削ってしまうと、いざというときに大変なことになることに気づいてもらったのではないだろうか。政府は効率性の名のもとに混合診療といって自費の部分を増やすことを推進していた。自費を補えない国民が医療から弾かれてしまうことを危惧して医師会は反対し、僕もブログにもつづって大反対していた(※11、※12)。
さらに、予備費というものがあって10兆円でも目的を議論せず予算を組めるということが分かったのも良い経験だった。あの東日本大震災と比較するのもよいだろう。
次に、克服すべき点は2つある。1つ目は、システム的なことだ。
政府がなし崩し的な対応と自粛要請しかしなかったことが一番大きい。新型コロナウイルス専用の医療機関の設立を整備して、交通整理をすることが新型インフルに引き続いて再度できなかった。既存の医療機関への恣意的な補助金でお茶を濁してしまった(※13)。
それは後遺症として続いている。