自然との共生を破壊したときウイルスが暴れ出す

モンゴルは、中国南方にあった大理だいりという国への侵入を、ヨーロッパ侵入とほぼ同時期に行なっていました。しかし、この大理国の奥地には、恐ろしいペスト菌が存在した可能性が指摘されています。つまり、モンゴルの大理国侵入がペスト菌を西欧に運んだ一因、という見方もできるのです。

斎藤整『ヨコで読む大人の世界史』(KADOKAWA)

かつては東欧の深い森が感染症の防波堤だったのに、東方植民によって森林はすっかり農地と化した。感染症に対し、ヨーロッパはまったくの無防備状態となっていたわけです。ウイルスは古来より、自然や人間と共存してきました。しかし、人間が分け入ってはならない自然の奥深くまで触手を伸ばしたことにより、ウイルスの復讐が始まったともいえます。

ペストの起源を中央アジアとする説もありますが、いずれにせよ、ペストは人間による環境破壊が生んだ産物であることは間違いありません。自然との共生という暗黙のルールを破ったときにウイルスが暴れ出すのは、20世紀末にアフリカで大流行したエボラ出血熱などと同じ構造です。

3000万人近くを死に追いやったペスト

13世紀から、ヨーロッパでは地震が多発していました。イタリアを例にとると、13世紀に48回、14世紀には51回の地震が記録されています。地震の多さは、イギリスや東欧諸国でも同様でした。

それだけではありません。14世紀には、低温が長く続く「小氷河期」に入り、農業生産は減少します。じとじとと長雨が続き、さまざまな病気も蔓延しました。そしてヨーロッパのみならず、当時はアジアの中国も同様の状況に見舞われていました。感染症が流行する条件はそろっていたのです。

そうした環境下の14世紀後半、ついにペストがヨーロッパを襲います。このとき流行したのはリンパ腺を侵す「腺ペスト」が主で、体が黒ずんで死ぬため「黒死病」と呼ばれていました。

ペストによる死亡率の高さは異様でした。たとえば、フランスのモンペリエにあるドミニコ修道院では150人中143人が死亡。ほぼ同じ規模のフランチェスコ修道院に至っては全員が死亡しています。廃墟となる修道院や村も続出したようです。

当時のヨーロッパの人口は推定7500万人。このうちペストによる死者は約2500万~2900万人とみなされています。実に人口の3人に1人がペストで死んだ計算で、まさに人類史上最悪の感染症禍でした。

そして、まったくの同時期に中国でも“謎の感染症”が流行していました。その結果、西欧と中国で似たようなある現象が生じます。世界史を変えてしまうほどの農民反乱が、西欧と中国で同時に発生したのです。