N高は、社会の「はしご」である

子供にとって、敗者復活のチャンスが少ない社会は、絶望しかありません。

さまざまな理由で最初から底辺校にしか行けなかった子供は、どうしてもその後の選択肢が少なくなります。つまり逆転のチャンスがない。

一方で、進学校はひたすら偏差値重視です。学ぶことは嫌いでなくても、全員が東大を目指すような受験勉強に興味を持てない子供は、だんだんと落ちこぼれていきます。あるいは学校になじめなくて不登校になる子供もいるでしょう。

ベルトコンベヤーに乗れない子供に、これまでの日本の学校は救いの手を差し伸べることができませんでした。

しかし最近はKADOKAWAグループが開いた「N高等学校」(以下N高)のように、ベルトコンベヤーを外れた子供の受け皿となる学校が台頭してきています。N高は通信制高校の制度を利用した“ネットの学校”で、入試も設けていません。

そのような高校からでも、慶應義塾大学や早稲田大学、上智大学などの難関私大をはじめ、今年は東京大学に1人、京都大学に3人の合格者が出ています。

人間には能力差があります。短距離走ならどんなに練習してもおそらくウサイン・ボルトには勝てないでしょう。これは持って生まれた能力差です。東大へ行ける能力、お金儲けをする能力など、一人ひとり顔が違うように能力もみんな違う。

だから格差をなくすことはできないですし、格差があること自体が問題ではありません。問題は、敗者が復活できる、もしくは格差を少なくするための「はしご」が社会に広くかかっているかどうかです。

僕は、N高が果たしている機能は「はしご」だと考えます。方々にはしごがかかっていて、敗者復活のチャンスがあればあるほど、社会は安定します。こんな高校がどんどん出てきたら面白いのではないでしょうか。

日本の教育に「偏差値コース」と「変態コース」を

教育は何を評価してきたのか』(岩波新書)を書いた東京大学教授の本田由紀さんは、日本の教育の特徴を、「垂直的序列化」と「水平的画一化」という言葉で説明しています。

分かりやすく言えば、前者は大学であれば東大を頂点にした偏差値による序列をつくり、後者は僕の言葉に直せば製造業の工場モデルに適した5要素「偏差値が高く、協調性があり、素直で、我慢強く、先生の言うことをよく聞く」人間を養成してきたのです。

後者はトップ校も底辺校も同じです。この5要素の能力に優れた人材は、従業員としては使いやすいでしょう。でも、アップル創業者のスティーブ・ジョブズのように新しい何かを生み出せるでしょうか。日本は垂直方向も水平方向も、ダブルで歪んでいるのです。

日本のGDPの世界シェアが平成の30年間で半分以下になってしまったのは、新しい産業を生み出せなかったからです。新しい産業を生み出すには、女性とダイバーシティと高学歴がキーワードになります。

僕は、極論を述べれば高校の段階で「偏差値コース」と「変態コース」の2コースに分けたらどうかと考えています。

偏差値コースは生徒の6~7割でいいと思います。その子供たちは今まで通り偏差値の高い大学を目指せばいい。残りの3~4割は自分が好きなことを徹底的に究めればいい。本が好きならば本ばかり読んでいればいいし、絵が好きならば絵を描いていればいい。

高校で変態コースに進んだ子供たちは、APUが喜んで引き受けますよ。きっと個性にあふれた異才や異端児が集まっていて、その中には起業家の卵も山ほどいるかもしれません。

(構成=八村晃代)
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