IT能力に長けていた吉田さんは派遣社員ながら徐々に任される仕事が増えていき、3カ月後、正社員として働かないかと声がかかる。当時、19歳。
「働くうちだんだん、基幹システムの導入の仕事に関わるようになりました」。21歳のときには、タイとの共同プロジェクトのマネジャーに選ばれた。ただビジネスの知識がほとんどなく、簿記やチーム運営の方法も、とにかく“ググって”調べたという。会社の受発注や在庫管理、会計、人事など業務を横断して解決するERP(企業資源計画)の仕事に、吉田さんは魅力を感じていた。吉田さんは、徐々にほかの企業でもその経験を応用できるのではないかと考え始める。
しかし、「転職しようにも日系企業は都市銀行系をはじめ、ことごとく高卒という学歴で書類選考ではじかれました」。そんなとき、吉田さんのプロジェクトの成功を見ていた、得意先の取締役から誘いを受ける。
23歳で上京、上流SIerとして勤務し始める。日本でいえば大学新卒1年目の年齢だが、完全な即戦力だった。100人程度の社員数だったが、大手メーカーやその子会社へのシステムの導入、海外法人とのやりとりもリードしていた。
転職2年目で、「このままではERPだけの人材になってしまう」とさらなる転職を決意。就職先は2000人規模の日系SIer企業。そこでの上司との出会いが、吉田さんのキャリアを大きく変えた。
その上司は、マイクロソフト製品の豊富な知識を持つ、貢献度の高い個人を表彰する制度・マイクロソフトMVPの受賞者だった。そこで、勉強するコミュニティや、セミナーに登壇する文化を教わる。
「個人でググるだけではなくて、コミュニティで勉強するようになって、そこから、受け身ではなく自ら登壇したり、情報を発信するようになりました。すると相乗効果が起こって、情報への理解度が格段に上がりました」
吉田さんは自身のブログ「吉田の備忘録」で、海外の最先端の情報をグーグルで調べてまとめ、邦訳するなど、積極的な発信を始める。そこで出会ったのが、誰もがiPhoneやAndroidなどのアプリを作れるソフト「Power Apps」だった。魅力に引き込まれた吉田さんは、「会社での導入は難しくて」趣味でひとり、研究を始めた。
いかにしてMS本社に入社したか
日系企業ゆえの「新しいことがなかなかできない」しがらみから、17年春、EYアドバイザリー・アンド・コンサルティングに転職。4カ月でシニアコンサルタントへとスピード出世を果たす。そして7カ月目、マイクロソフトのリクルーターから、LinkedInで引き抜きの声がかかる。
その誘いの言葉は、吉田さんにとってまさに渡りに船だった。