中島飛行機の創業者はどう思うだろうか

かつて中島飛行機の創業者、中島知久平はアメリカを空爆するための巨大爆撃機「富嶽」を構想し、開発に着手した。

野地秩嘉『スバル ヒコーキ野郎が創ったクルマ』(プレジデント社)

結局、それは実現しなかったが、彼の仕事を継いだ者たちは苦労に苦労を重ねた結果、アメリカのマーケットに受け入れられる車を開発することで傾いた会社を再生させた。

知久平だって、アメリカをうらんでいたから、巨大爆撃機を作ろうと思ったわけではない。乾坤一擲けんこんいってき、富嶽を作り、飛ばすことで戦争を終わらせようとした。

富嶽を通じて巨大航空機の技術を培い、その後は巨大な旅客機で日本人をアメリカへ連れて行こうとした。

富士重工の幹部が「アメリカマーケットを向いた車を作ったこと」をもっとも喜んでいる男がいるとすれば、それは知久平だったろう。

関連記事
倒産の危機にあったスバルを救った「レガシィ」の奇跡
新型コロナウイルスで「やってはいけない」5つのNG行動
マスク1箱を4万円で売る「悪質転売屋」が後を絶たない理由
なぜ、年金受給者はラブホテルに通うのか。「濡れなくても、謳歌できる」その訳。
富裕層は「スマホ」と「コーヒー」に目もくれない