「記憶のないものは、本質において、かつて生命を断ち切られた丸太や板であり、未来は何の形になるのか、どんなものになるのかは、のこぎりとおの次第なのです」。安倍政権に翻弄されているわれわれも、命のない丸太になりかかっている、否、成り果てているのか。

「われわれが個人の記憶力と記憶を持っていたからといって、世界と現実を変えることなどできないかもしれませんが、少なくとも統一された、組み立てられた真実に向き合うとき、心の中でひそひそとささやくことはできます。『そんなはずはない!』と」

李のような人になれないのなら、「大声では話せないのなら、耳元でささやく人になろう。ささやく人になれないのなら、記憶力のある、記憶のある沈黙者になろう」。新型肺炎の起こり、蔓延、近くもたらされるであろう「戦争の勝利」の大合唱の中で、「少し離れたところに黙って立ち、心の中に墓標を持つ人になろう。消し難い烙印を覚えている人になろう。いつかこの記憶を、個人の記憶として後世の人々に伝えられる人になろう」

日本人こそこの悲劇を受けとめ、考えるべきだ

閻から、「中国国内では発表できないものだが、日本語に翻訳して多くの人に読んでほしい」と送られてきた訳者の泉京鹿は、中国では当局によってブロックされていているが、ものすごい勢いで転載され、少なからぬ中国人が読んで共感していると書いている。また、

「閻連科が学生たちに語らずにはいられない中国の歴史的悲劇は、日本人にとって、『体制の違う隣国のこと』なのだろうか。われわれ日本人こそ、いま起こっていること、これから起こることを、しっかりと見つめ、記憶し、後世の人々に伝えなければならないのではないか」

と、閻の言葉を日本人こそ受けとめ、考えるべきだといっている。

新型コロナウイルスに感染する人の数はまだまだ増えるはずだ。マスメディアはこのウイルスの脅威を過大に報じ、政権は早期に収拾しようと国民の生活を蔑ろにし、国民は正確な情報を知らされずパニックに陥る。

しかし、少しでも感染の広がりが鈍れば、政権は「国難に打ち勝った」とかねや太鼓を打ち鳴らし、国民は何も知らされずに踊りの輪に参加させられる。

そうして、今回のコロナ騒動もあっという間に忘却してしまうのだろう。同じように安倍政権が隠蔽してきた数々の不祥事も記憶のかなたに消えてしまう。

安倍がいなくなっても、第2、第3の安倍が再び現れるが、記憶をなくした国民は、そのことにも気が付かない。(文中敬称略)

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