「われわれは警笛を聞き取れる人になろう」
手元にニューズウイーク日本版(3/10号)がある。村上春樹に続いて中国でカフカ賞を受賞し、毎年ノーベル文学賞候補に挙げられる中国人作家・閻連科(イエン・リエンコー)が2月20日に、彼が教えている大学の学生に語った講義録が掲載されている。
これが素晴らしい。今の日本人こそ読むべき一文であると思う。
中国で新型コロナウイルス感染拡大を警告し、自らも感染して亡くなった李文亮眼科医のことを、「李のような『警笛を吹く人』にはなれないのなら、われわれは笛の音を聞き取れる人になろう」と話す。
閻は、子供のころから、同じ過ちを繰り返すと、両親から「おまえに記憶力はあるのか?」と問われたという。
「記憶力は記憶の土壌であり、記憶はこの土壌に生長し、広がってゆきます。記憶力と記憶を持つことは、われわれ人類と動物、植物の根本的な違いです」
閻は、それは食べることや服を着ること、息を吸うことよりも重要だという。
「なぜならわれわれが記憶力や記憶を失うとき、料理をすることも、畑を耕す道具も技術も失っているはずだからです」
「本当のことをいえば処分を受け、やがて忘れられていく」
閻は、今こんなことをいうのは、新型肺炎が世界中の災難として、まだ本当にコントロールされてはおらず、感染の危機もまだ過ぎ去っていないからだという。
湖北や武漢を含めて全国で、家族がバラバラになり、家族全員が死に絶えてしまったと嘆く悲痛な声がまだ耳から離れない。
新型肺炎でどれだけの人が死んだのかもわかっているわけではない。だが、そのような調査、確認はトップダウンで行われており、統計のデータが好転している、新型肺炎に勝ったという凱歌にかき消され、時間の経過とともに永遠の謎になってしまうと危惧する。
「われわれが後世の人々に残すのは、証拠のない記憶の閻魔帳なのです」
都合の悪い文書を改ざんしたり破棄したりして、証拠隠滅をはかるこの国の為政者のことを記憶して、忘れないことこそ重要なのだ。
「本当のことを言えば処分を受け、事実は隠蔽され、記録は改ざんされ、やがて人々の記憶から忘れられていく」。安倍政権のことをいっているように、私には思える。
「この記憶を後世に伝えられる人になろう」
「われわれが身を置く歴史と現実の中で、個人でも家庭でも、社会、時代、国家でも悲しい災難はなぜ次から次へと続くのでしょうか。なぜ歴史、時代の落とし穴と悲しい災難は、いつもわれわれ幾千万もの庶民の死と命が引き受け、穴埋めをしなければならないのでしょうか。
われわれには知ることのない、問いただすこともない、問いただすことを許されないから尋ねない要素は実に多い。ですが、人として――幾千万もの庶民あるいは虫けらとして――われわれには記憶力がなさ過ぎるのです」