ボクは心臓に病気があって、発作に備え、いつも薬を持ち歩いています。だから死について考えることも多い。そんなボクにとって、認知症は、死への恐怖を和らげてくれる存在のような気がするのです。心臓や、死のことばかりを考えなくて済むようになったという意味で。
認知症は「神様がボクに用意してくれたもの」
語弊があるかもしれませんが、認知症は死への恐怖を和らげるために、神様がボクに用意してくれたものかもしれないとも思います。だって死はやはり怖い。死んだら終わり、それは真っ暗な闇ですから。そういうことを思えば、やはり生きているうちが花。もちろん生きていく過程では、つらいこともあります。
ボクも、これまで生きてきたなかで、戦争、肉親の死、仕事上のことなど、ほんとうにつらくて死にたくなるようなことが山ほどありました。でも、やはり生きているということが素晴らしい。つらかったり、苦しかったりすることがあっても、明けない夜はありません。夜のあとには必ず朝が来るのです。
こうやって書籍を通し、みなさんに話しかけられるのも、生きていればこそ。生きている「いま」を大切にしたい、そう深く思っています。
まだやらなければいけないことがある
2019年9月、下の歯が三本、突然抜けてしまいました。歯茎がかなり弱っていたようです。上の右のほうの歯も一本、道路で転んだときに欠けてしまった。痛くはありませんが、食べるときに不自由だから、何とかしなくてはと思っています。
月に三度くらい、心臓がギュッと締めつけられるように痛くなったことがありました。慌てて薬を飲んだけれど、こうしてみると、だんだんお迎えが近づいてきていると思います。そろそろおいでよって。でも、いやいや、もうちょっと待ってくれって、押し返しているのです。なぜならボクには、まだやらなければいけないことがあるからです。
やりたいことの一つに、全国で認知症ケアの指導にあたっている人たちのフォローアップ研修があります。認知症介護研究・研修東京センターで、認知症ケアを現場の人たちに教える指導者養成研修をしていますが、その研修を終えて指導者になったリーダーたちが「being(ビーイング)」という会をつくっています。
医療と介護の両面で支える必要がある
関東や九州など各地に散って、現場の介護職員の人たちに認知症ケアの基礎を教えている。それ自体はとてもよいことだけれど、指導者となった彼ら自身のアフターケアをするシステムが必要だとボクは思っています。
医者も心理士も、学会のあと、研修の講座がいくつもあって、知識の補給ができています。それに比べて、介護の世界のアフターケアは手薄なのではないか。認知症の医療、介護面の技術や知識は日進月歩です。新しい薬も出てくるでしょう。
そうした新しい技術や知識を、面と向かって教えてもらえる場所や機会がもっとあったらよいと思うのです。それをボクはやりたい。最後のボクの仕事になるかもしれないと思っています。