日本が必要なのは競争力を有する仲間
ただし、観光客の「量」、労働力の「量」だけに期待しているだけであれば、その効果は限定されたものになろう。特に国内労働力が足りないからというだけで、外国人を補充するような姿勢では、日本経済への本質的な貢献は期待できないだろう。日本が必要なのは競争力を有する仲間である。有効な政策を立案・実施するためには、政策担当者に国内外の現場を這いずり回ってもらうしかない。
もちろん政府の施策に頼りっきりではいけない。
むしろ、私たち一人一人が、日本の質の向上につなげるような工夫をし続けることが肝要だ。日本を訪れる外国人観光客の関心は、地方の特有な文化を楽しみたいという、より細かなものになっていることに注意したい。令和時代は、SNSを通じて世界の隅々まで、日本の地域の良さを伝えられる時代である。そうであれば、外国人を迎えるためのファシリティだけでなく、地域の良さを磨き、発信するという工夫が必要になる。
信頼はともに努力するという経験から生まれる
こう考えれば、これまで悩まされていたダイバーシティのハードルは幾分軽減されるだろう。これまで、英語を学び、グローバル・スタンダードという「世界の常識」を身につけることが必須と考えられてきた。しかし、SNSなどのデジタル技術を使えば、自分の長所を、つまり「日本の常識」に世界を引きつけることもできる。これはグローバル化とは遠い位置にあった地方再生にも魅力的な視点だ。工夫次第では、地域再生に協力してくれる外国人を見つけることができるだろう。
もっとも地域の伝統的な長所に固執しつづけてはいけない。ともに働く外国人から謙虚に学び、さらに強みを磨くということが重要な視点になる。外国人ラガーたちが日本の技術水準を高めたことは疑いない。見逃してはならないのは、共通の目標だけでなく、そこには双方の信頼(価値観の共有)があったことだ。信頼は、目標だけではなく、むしろ、その過程でともに努力するという経験のなかから生まれる。
令和時代に、わが国が求められているのは、単にグローバル・スタンダードに向かうことだけではないだろう。日本の長所をグローバルレベルに磨き上げることにも目を向けるべきである。その際に、必要なのは、急場を乗り切るための、高額の「助っ人」外国人ではなく、持続的なイノベーションを生み続ける、価値観をともにしてくれる外国人ではないだろうか。そういうグローバル化時代が到来しているのだということを、ワールドカップの日本チームは実証してくれたように思う。
思い切って、いろいろ書いてしまった。それほど、2019年の日本チームの活躍は、私にとって知的興奮をかき立て、同時に不安・不透明な社会に活路を切り開くヒントを与えてくれた。スポーツはあるとき、時代を先取りするヒントを与えてくれる。2020年の東京オリンピック・パラリンピックは、何を見せてくれるだろうか。多いに期待したい。