見守るだけでなく、歩み寄り、ともに歩く

「認知症になったことを隠したがる人も多いのに、なぜ公表したのですか」という質問もよく受けます。

長谷川和夫・猪熊律子『ボクはやっと認知症のことがわかった 自らも認知症になった専門医が、日本人に伝えたい遺言』(KADOKAWA)

それはやはり、認知症についての正確な知識をみなさんにもっていただきたかったから。認知症の人は、悲しく、苦しく、もどかしい思いを抱えて毎日を生きているわけですから、認知症の人への接し方をみなさんに知っておいてほしかったのです。

付け加えていえば、認知症を理解して支える存在や、その仕組みが絶対に必要だと思ったからです。

「大丈夫ですよ、私たちがそばにいますから安心してください」。そんなメッセージをその人に届けてくれる存在や仕組みがあったら、認知症の人はどんなに安心するでしょう。

また、認知症の人をたんに見守るだけでなく、寄り添い、ともに歩んでいきましょうという取り組みがあったら、どんなに勇気づけられるでしょう。実際、そんな先駆的な取り組みをする自治体も出てきていると聞きます。

「認知症のありのままを伝えたい」

ボクが認知症だと公表した理由をさらに突き詰めれば、「自分自身がよりよく生きていくため」といってよいだろうと思います。自分が生きているあいだに、人さまや社会のために、少しでも役に立つことをしたい。

役に立てるかどうかはわからないけれど、認知症のありのままを伝えたい。それが、自分が生きていく道だと思ったのです。また、それが、自分が生きていく道であると同時に、自分が死んでいく道でもあると感じたのです。

ボクは若いころから、精神的に落ち込んで、悲観的になることが時折ありました。そんなボクにとって、認知症になり、「何もかもわからなくなる」ことへの恐怖心はそうとう強いものがあります。でも、そこにいつまでもとどまっているのは、身体にも心にもよくありません。

自分を叱咤激励して、くよくよしているよりは、いまできることをやろうと決めた。だからこそ、認知症であることを公表し、語ることを始めたのです。

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