子孫を残すことの意味について考えてみた
子孫を残すことは、間違いなく人生の意味であり、後世へのレガシーの一つといえるだろう。残念ながら(?)僕には子供がいない。
奥様に汚物扱いされて拒否られているという悲しい事情もあるが、年齢的にこれから子供を持つのは現実的ではない。子供が成人するまで面倒を見なければならないとすると、仮に「あなたの赤ちゃんです……認知して……」と会った記憶のない女性が隠し子を連れてあらわれるという望まぬカタチで、今、子供を授かったら、最低でも66歳まで働いて養わなければならなくなる。
はっきりいって、それは、キツすぎる。
だから現実的に考えて、子供はいらない。子供がいないからといって、人生の意味がなくなるわけではない。子供がいない人生を楽しめばいいだけのことだ。世の中には子供がいない夫婦も大勢いる。
「遺す」ではなく「置いていく」という意識
「子供以外のレガシーを残せばいいじゃないか」というご意見もあるだろう。玄関ホールの銅像になった過去の偉人の皆様には申し訳ないが、子供以外のレガシーに意味はないと僕は考えている。レガシーとは先代の人間が遺したものであり、残酷な言いかたをするならば、老人のワガママのカケラである。
遺したものがレガシーになるか、負の遺産になるかは、遺して、先にこの世から去っていくサイドの人間にはわからない。
それはいささか無責任すぎやしないか。部活を引退していく先輩が「じゃあ後を頼むぜ」つってウゼー伝統を遺していくのと、とても良く似ている。
人生の意味とは、遺すものだけではなく、今を精いっぱい生きることに宿るものだと考えている。人生はいつ終わるかわからないからこそ、今を真剣に考え、愚直に生きる。
それが人生であり、人生と真剣に向き合うことに意味がある。
僕には子供がいない。不動産や財産を遺すつもりもない。美術館も遺さない(遺せない)。ネットに書いた文章や執筆した書籍のいくつかは遺していくことになるが、後進の人たちにはそれをレガシー扱いしてほしいとはまったく思わない。役に立ててくれればいいな、くらいの軽い気持ちしかない。遺すのではなく、置いていくだけのことなのだ。