行動の遺伝子を未来につなぐという考え方

「随分と後世に無責任な生き方ではないか」という批判もあるかと思う。そう思われても仕方がない。実際、僕は自分より若い世代に干渉したくないのだから。前の世代に縛られずに、勝手自由に生きていただけたらいい。僕もそうやって生きているつもりだ。

フミコフミオ『ぼくは会社員という生き方に絶望はしていない。ただ、今の職場にずっと……と考えると胃に穴があきそうになる。』(KADOKAWA)

今を真剣に生きること自体がレガシーになると僕は考えているのだ。

たとえば楽しく遊んでいる姿や、真面目に働いている姿、もしかしたら毎日規則正しく生活を送っていること。そういう姿を見た後々の世代が、「ああいうふうに生きたい」「あれは見習いたい」「ちょっとあの人のような人生は送りたくない」と思ったり、感じたりすれば、それは立派なレガシーといえるだろう。経験からこれだけは言える。

「真剣に生きていない人からは何かを感じることはない」

僕の父は若くして亡くなってしまったが、休日はカヌーに乗ったり、スキューバをやったり、どこまでも「楽しく」を真剣にやって生きていた。その姿は「人生を楽しもう」というメッセージになって僕へのレガシーになっている。

子供を通じて次代に遺伝子を遺すことはできる。今を真剣に生きていれば、行動の遺伝子を次代へつないでいける。子供がいなくても、それだけで十分に人生の意味になりうるのではないか。そう僕は思うのだ。

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