若者を親に任せっきりの日本
ひきこもり状態の人でも、生活上の自由や責任をもつことを保障されることで、本人が外部との関係を取り戻す可能性もある。たとえば障害年金を受給することで、単に家族に世話になる存在ではなく、自らの判断でお金を使う主体になる例も報告されている。
日本では、自立していない子どもが経済力をはじめ、基本的な生活条件を親に依存することが一般的とされてきた。それとは裏腹に、若者が個人として生活していくような経済的支援や住宅保障の制度が欠落している。ひきこもり問題や8050問題をきっかけに、若者自身が自由と責任を引き受けていくことができるような社会の仕組みを真に考えるべき時期が来ている。
「完璧な自立」を求めがちな親たち
実際には、こうした個人単位の「自立」に対して、ひきこもり状態にある人の親が抵抗を感じる場合が多いのも事実である。福祉の支援を受けながらの自立ではなく、本人が1人で生計を立てられるような「完璧な自立」を理想として描くことも、その裏側にある理由の1つだ。
「誰からみても恥ずかしくない自立が可能になるまでは、家族が支えていきたい」
逆に理想的な自立の機会が来ないのであれば、「家族だけで見守っていきたい」という選択がされがちだ。
だが、家族はバラ色の人間関係が築かれる場所とは限らない。家族同士支え合い、乗り越えていくべき場面も多いだろう。しかし、家庭内暴力があるなら親やきょうだいは別の場所で暮らしたり、本人が独立して生活したりできるよう住居の確保をするなどの総合的な支援が必要になる。また、本人の収入が十分でない場合は、生活保護の受給を提案するなどの支援もある。
このように、親子それぞれが新しい生活を実現できる支援が視野に入れられるべきではないだろうか。
もともと「自立」とは、無人島での一人暮らしのように孤立して生活を営んでいくことではないといわれる。他者に依存しながら、過度の問題に陥らずにやりくりしていくことを指す。問題は、依存先が家族の内側にしか存在しないことなのだ。問題を家庭内に閉じ込めず、依存先を家の外に増やすことが求められているのではないか。