「人間が人間を統治するのは正しくない」

ちょっと待って。親から生まれるんじゃないの、人間は? と思ってはいけない。それは、親から生まれるように「見える」だけ。ほんとうはGodが造っているのだ、と考えるのが、キリスト教である。

Godが人間に与えた自由を、ほかの人間が取り上げてはならない。自由は、神聖なのである。

さて、イエス・キリストは神(の子)なので、人間を支配する。でも、復活して天に昇ってしまった。いずれ再臨して、人間を直接に統治し、「神の王国」をつくる。Godが人間を支配する。これがほんとうの政治である。

では、イエスが再臨するまでのあいだ、地上ではどうする? 人間が人間を統治するのは正しくない。人間は自由だからだ。でも、悪者もいる。政府は必要。ではどうする。

人間は自由なので、自分の意思にだけ拘束される。そこで、自由な人間が相談して、政府をつくると約束(契約)する。契約は、自分の意思だから、これに従っても、自由でないことにはならない。

人間が、こういう契約を結んでいいのか。結んでよい。「Godはそれを支持する」と新約聖書に書いてある(ローマ人への手紙)。

契約は、自由に結んでよい。そして、契約は、法律になる。「契約を守りなさい」はGodの命令だからだ。西欧キリスト教文明、とりわけ近代国家は、こういう原理でできている。キリスト教と法律は、こういうかたちでつながっているのだ。

法律も、契約も、人間がつくったものだが、神に対するように「神聖」だ。だから彼らは、法律、法律とうるさいのである。

「法律があるので、大丈夫」

以上をまとめて、彼らの考え方や行動を説明する、4行モデルをつくることができる。

キリスト教文明の人びとの、4行モデル
(1)まず自己主張する。
(2)相手も自己主張している。
(3)このままだと、紛争になる。
(4)法律があるので、大丈夫。

西欧諸国では、誰もが法律に従うと期待できる(法律に従わない無法者もいるが、正真正銘の悪漢である)。人間の集まりである、政府も法律に従う。誰もが法律に従う社会を、法治国家という。

キリスト教文明のやり方は、ユダヤ教を踏まえている。それはこんな具合だ。

ユダヤ教の人びとの、4行モデル
(1)まず自己主張する。
(2)相手も自己主張している。
(3)このままだと、紛争になる。
(4)ユダヤ法があるので、大丈夫。