イスラム文明のやり方はユダヤ教と似ている

ユダヤ法は、モーセの律法ともいい、旧約聖書(ユダヤ教の言い方では、タナハ)に書いてある。ところがイエスが、「ユダヤ法にはもう従わなくていい」と言ったので、割礼も神殿での祭祀も、なしになってしまった。

ユダヤ法なしのキリスト教徒は、以来、適当に法律をみつける(なければ、つくる)ことにしたのだ。

イスラム文明の人びとのやり方は、ユダヤ教と似ている。こんな具合だ。

イスラム文明の人びとの、4行モデル
(1)まず自己主張する。
(2)相手も自己主張している。
(3)このままだと、紛争になる。
(4)イスラム法があるので、大丈夫。

イスラム法は、アッラーが定めた法律で、クルアーン(コーラン)に書いてある。人類すべてが従うことになっている。だからイスラム法は、普遍的である。ユダヤ人以外の人びとは守らなくていいユダヤ法とは、違っている。

キリスト教はイスラム教を認めるつもりがない

イスラム教は、ユダヤ教もキリスト教もアッラーの教えではある、と考えているので、嫌なら無理にイスラム教に改宗しなくてもよい。イスラム文明は、ユダヤ教、キリスト教に共存の余地を与えている(だからパレスチナでは、もともと共存できていた)。

しかしキリスト教のほうは、ユダヤ教、イスラム教をはなから認めるつもりがない。ケンカ腰である。十字軍もそうだった。レコンキスタ(スペイン奪還作戦)もそうだった。

最近では植民地にしたり、石油資源をめぐって横暴をはたらいたり、悪さばかりしている。イスラム教の側が、警戒するのは当然だ。