その頃、支払いの請求書が見当たらないので家中を大捜索したことがありました。すると書類の山の中に母の字で小さなメモがあって、そこには「どんどん忘れていく、バカ、バカ、バカ……」と書かれてあったんです。そのときは「ああ、自分でも苦しいんだな」と思ってショックを受けました。ありのままを受けいれるのは、家族としては時間がかかるんですけど、あんまり叱りつけたりしてはいけないんだとも思いました。結局「いまの母」を受けいれて見守ることができるまでには、やはり1年以上はかかりました。

ボケを疑うくらいの鋭い切り返し

父は15年8月3日、3年半の入院生活を経て、兄が見守るなか94歳で亡くなりました。仕事を終えて急いで駆けつけると「眠るように逝った」と聞かされました。一方で母のボケは急激に進まず、ゆっくりと進行中です。でも、母のボケは明るいのが救いです。時々、何気ない会話で吹き出してしまうことがたくさんあります。

文藝春秋=写真提供
阿川さん(左から2人目)の父弘之さん(同3人目)と母みよさん(同4人目)。1957年頃、家族でゲームを楽しむ様子。

オクラを食卓に出したときは「あら、おいしい。これはなあに?」と聞くので、「忘れちゃったの?オクラでしょ」というと「なんだ、オクラか」といって、「そんなの知ってるわよ」という顔をします。しばらくすると、また「これはなあに?」と聞くので「オが付く、オクラ」「ああ、なんだ」となる。これを何回か繰り返すんです。

何回やっても覚えてないから「何でも忘れちゃうんだねえ」と笑うと、ちょっとむっとして、「覚えていることだってあるわよ」と反論します。「じゃ、何を覚えているんでしょうねえ」と問いかけると「うーん……いま、何を覚えているか、忘れた」と切り返してくるんです。実はボケていないんじゃないかと思うくらい、鋭い切り返しをするんです(笑)。

そしていま、私が実践しているのは、母の頭の中の妄想や景色に付き合う方法で、意外と楽だし面白いんです。たとえば、母はいつの間にか、夢と現実とが混ざっているような状態になって、「さあ、寝ますよ」というと「ちょっと待って、赤ん坊をどうするの」といってきます。そういうときは「赤ん坊はね、さっき2階で寝ましたよ」と返します。そうすると「ああ、そうか」といって安心します。

そもそも学習させること自体が無理なんで、まずこれを認識するのが大事。もう1つは、否定をしないこと。「赤ん坊はいないのよ、わかった?」と言い聞かせても、認知症の母は赤ん坊が気になってしょうがないわけです。だったら、解決するには「赤ん坊はいるんだけど、もう寝ちゃったから大丈夫」と安心させたほうがいいわけです。

認知症の介護は報われないことだらけです。40代の頃は、誰だって親の介護なんて考えたくないでしょう。考えると暗くなってしまいますから。ただ、始まってしまうと、いちいち暗くなっているひまなんかなくなって、目の前の一つひとつを解決していく毎日です。長期戦でやっていくには、イライラしても笑いと手抜きを忘れず、介護生活の中で楽しみを見つけることが大切だと思うんです。

▼アガワ流介護 7つのポイント
① 介護は長期戦で考えなければ息切れしてしまう。1人で頑張るのはやめる
② 介護の先輩やプロの手など周囲の力にどんどん頼ろう
③ 子どもの私がしたことに感謝してほしいと思うから腹が立つのだと自覚する
④ 完璧にやろうとするとどこかに無理が生じるものと心得る
⑤ 自分を追い詰めず、たまには自分の都合を優先するなどして手を抜こう
⑥ 認知症の妄想に付き合うことで自ら楽しんでしまう
⑦ 認知症の親を学習させるのは無理なので、いっていることは否定しない
(構成=篠原克周 撮影=石橋素幸)
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