オタクではないからこそ、アニメの力を訴えたい

僕はこれまで何度かアニメを哲学の題材にしてきた。『ジブリアニメで哲学する』(PHP文庫)や『アニメと哲学』(かんき出版)がそれだ。「なぜ哲学者がアニメを?」と、しばしば尋ねられる。ちなみに、僕はいわゆるアニメオタクではない。つまり、特別アニメに詳しいわけではないのだ。

ただ、子どもの頃からいくつかのアニメ作品を観て育ち、今なお話題作があればわざわざ劇場に足を運ぶ。おそらく普通のおじさんよりはちょっと興味がある程度だと思われる。だからこそアニメの力を訴えたいのだ。アニメは決して特別なものではない。また特別な人たちのものでもない。ごく普通に僕らの日常にあるインフラなのだ。冷蔵庫や新聞と同じように。

誰だって冷蔵庫を使うだろう。新聞も読むだろう。そして冷蔵庫や新聞から恩恵を受けているはずだ。冷蔵庫や新聞の専門家でなくったって。アニメをそういう感覚でとらえてほしい。すでにアニメが大好きな人にはこんな話は釈迦に説法だろう。でも、アニメに興味のない人にはぜひそう思ってほしいのだ。だからアニメを題材に哲学している。

なぜ、おそ松さんを題材にしたのか

アニメと哲学』の中で、あえて誰もが知っているであろう作品ばかりを扱ったのはそうした理由からだ。一部のアニメファンしか知らないマニアックな作品を取り上げても、一般の人にはわからない。韓国ドラマで「冬のソナタ」のチェ・ジウの話をしたら、だいたいの人にはなんとなくわかってもらえる。

ところが、同じ韓国ドラマでも「君の声が聴こえる」のイ・ボヨンの話をしても、ほとんどの人には通じない。韓国ドラマファンなら誰でも知ってるだろうが。「いとしのソヨン」とか最近だと「耳打ち」に主演しているあの美人女優である。

という感じで、アニメを論じるときも、ただのマニアックな話にはしたくなかったのだ。だから僕が扱ったのは、ドラえもんやワンピース、おそ松さんといった定番のアニメばかりだ。いや、『君の名は。』のような新しいアニメも扱っているが、これは社会現象にもなったような作品だから、多くの人たちが観ているはずだろう。

いずれにしても、普通の中高年のおじさんだってなんとなくストーリーがわかるものばかりにしてある。もちろん知らない人が読んでもわかるように、最小限の説明はしているが。

大人がアニメを哲学すると成長できる

では、なぜそこまでして哲学とアニメを結び付けたいのか? それはアニメから学ぶことができる人生のヒントがたくさんあると思うからだ。でもそのヒントはストレートに表現されているものばかりではない。特に子どもの頃観ただけだと、見逃してしまっているポイントはたくさんある。僕自身がそうだった。

大人になってから、子どもに付き合って同じ作品を観ると、まったく違う発見があった。そういう発見ができたのは、僕の思考力がアップしたからだろう。子どもの時に比べて。特に僕は哲学を生業にしている。つまり物事を深く考察する営みのことだ。その哲学を使ってアニメ作品のメッセージを読み解くと、さらに有益なヒントが浮かび上がってきたのだ。

それを伝えたかった。くしくもこの本で選んだ作品は、いずれも「成長」をキーワードにしているように思われる。意識の成長、心の成長のことである。おそらく偶然ではないのだろう。アニメは本来、子どものためにある。子どもの心の成長のために描かれているはずだ。しかし、心の成長が必要なのは子どもばかりではない。それは大人にも不可欠だ。