「修学旅行で神社仏閣に参拝」は押しつけか

日本人のなかには、自分は「無宗教」であると考えている人は少なくない。子どもであれば、自分は宗教など無関係で、クラスメイトも同じはずだと思っていることが多い。たしかに、一般の家庭なら、日常生活を送る上で信仰はほとんどかかわってこない。

修学旅行先に神社仏閣を選ぶというとき、選ぶ学校の側には、信仰を押しつけるという意識などないはずだ。

だが、それを押しつけとしてとらえる人間もいる。それは、個々の人間の宗教についての考え方にもとづくことなので、そうした人間に対してこれは押しつけではないと簡単に納得させることはできない。

学校側も宗教トラブルを防ぐための配慮が必要

これは創価学会の事例ではないが、学校現場で信仰のことが大きく問題になったものに、「エホバの証人」の信者が必修科目である武道の授業を受けることを拒否した出来事がある。

エホバの証人はアメリカで生まれたキリスト教系の新宗教で、聖書について独自の解釈をおこなっている。その一つが、学校で武道の授業を受けることの禁止である。信者の生徒たちはそれに従ったのである。

島田裕巳『親が創価学会』(イースト新書)

これに対して、学校は最終的にその生徒を退学処分とした。そこで生徒の側は、それを不当として裁判に訴えた。

地方裁判所における一審では、学校側のやり方が「信教の自由の保障する限界を逸脱し」ておらず、「著しく反社会的なものである」とは言えないとして、原告の生徒の請求を棄却した。

ところが、高等裁判所における二審と最高裁の判決では、武道に代わる手立てを与えなかった学校側に問題があったとして、原告の主張が認められた。

これによって、ほかの学校でも、同様の出来事が起こったときには、信教の自由を優先しなければならなくなった。

創価学会の子どもや親が、修学旅行で神社仏閣を訪問させられたことで、信教の自由を侵されたと裁判に訴えた事例は、今のところない。そのため、社会的な問題にはなってこなかったが、信教の自由を重んじるのであれば、なんらかの配慮は必要なはずである。

(写真=時事通信フォト)
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