「伸一」や「信子」は学会員の可能性

池田氏に命名してもらうわけではないが、親自身が、創価学会にちなむ名前を子どもにつけることがある。大作や、池田氏のペンネーム、山本(やまもと)伸一(しんいち)に由来する伸一などが代表で、女の子だと信子(のぶこ)というものもある。『法華経』に由来する法子(のりこ)や妙子(たえこ)もある。創価学会では、「勝利」ということがキーワードになっているので、男の子が勝利(かつとし)と名づけられることもある。

創価学会の現在の会長である原田稔氏は6代目にあたるが、5代目の会長だったのが秋谷(あきや)栄之助(えいのすけ)氏である。秋谷氏は一時、秋谷城永(じょうえい)を名乗っていた。これは2代目の会長だった戸田城聖に由来する。秋谷氏は戸田の弟子である。

生後すぐ会員にさせられるのは憲法違反か

「親が創価学会」であるというだけで、子どもも創価学会の会員になる。

これは、日本国憲法が保障する「信教の自由」に違反するのではないか、そのように考える人もいるに違いない。

これはなかなか難しい問題である。

そもそも、こうしたことは創価学会だけの問題ではない。

もし「親がカトリック」なら、親は生まれた子どもを所属する教会につれていき、神父に「幼児洗礼」を施してもらう。その際には、必ず「洗礼名」を授けられる。洗礼名には、パウロやマリアなど、有名な聖人の名前が用いられる。

これによって、赤ん坊は、自分が知らないうちにカトリックの信者になる。プロテスタントのなかにも、幼児の段階で洗礼を受けさせるところがある。

一般の仏教教団であれば、家が単位になっており、特定の寺の檀家(だんか)になっていれば、生まれたときからその宗派の信者ということになる。ただし、洗礼のような特別な儀礼はない。

神道の氏子(うじこ)も同様である。神社のある地域に生まれれば、自動的にその信者になる。「初参り」というしきたりが広がっているが、行くのは主に地域の神社である。それによって赤ん坊は氏子の仲間入りをしたことになる。

つまり、宗教がなんであれ、特定の信仰を持つ家に生まれた人間は、最初から信者として扱われるわけである。

こうした家の親に対して、子どもにも信教の自由があるからと言って、入信させないようにするのは、実際的に不可能である。また、親の方も納得しない。

宗教は生活と密接にかかわっている。信仰を持つ家庭の子どもに宗教と無縁な生活を送らせることは難しい。それに、親が子どもに信仰を伝えることも、信教の自由としてとらえられる。

赤ん坊には、信仰を与えられたことが良いことなのか、それとも悪いことなのか、その判断はつかない。そうしたことについて考えるようになるのは、かなり成長してからである。

なかには、創価学会の信仰をそのまま受け入れ、会員としての生活を送っていく者もいる。

反対に、成長してから、親から与えられた信仰に疑問を持ち、脱会まで考えるようになる者もいる。