参加者は外国人観光客が多い
参加者は白人の熟年夫婦、白人の女性といった感じで外国人観光客が多かった。彼らやガイドと一緒に川沿いのスラムの入り口に向かう。
湿地帯の上に建てられた家は木造で、貧相な感じがした。住人たちは着古した感じの服装をしている人がほとんど。ただ、子どもたちが走り回っていて、貧しいながらも楽しく暮らしているような感じを受けた。各地のスラム街と変わらない光景だ。
いくつかの集落を回っていると、ガイドからふいに、「ここの家に子どもたちを集めるので、ここでおみやげを渡してほしい」とひとつの建物に案内された。同行していた外国人観光客たちは、カバンから次々に文房具などを出して配り出した。その「思っていたよりも本格的なおみやげ」が配られる様子を見て、手ぶらで来た私たちはいたたまれない表情になってしまった。
(まずいな~)
内心、罪の意識で押しつぶされそうだった。実際、おみやげをもらった子どもたちは過剰に見えるほどに喜んでいた。
あまりの居心地の悪さに、ガイドの目を盗んで家の裏に行って、タバコを吸って緊張を和らげようとしたが、箱の中は空っぽ。途中に売店があったのを思い出し、「スラムで売ってるタバコでも買っておくか」との軽いノリで、店を探しに行った。すると、なかなか見つからない。ようやく見つけて買って戻ると、今度は先ほど集められた家の真裏に出た。こういう”迷宮”感もスラムの面白さである。
ハンモックでiPhoneとiPadを使っていた
家の真裏で予想外のものを見た。先ほどまで、子どもたちを紹介してくれていた親と思われる中年男性が、室内でハンモックに揺られながら、iPhoneを握って、iPadで読書をしていたのだ。部屋にはパソコンも置いてあった。
別に何も悪いところはない。ただ、文房具ひとつで喜んでいた子どもたちの家の人にしては、持ち物の階層が合わないように思った。
ツアー側の「仕込み」だったというわけではないだろう。おそらく、彼らは実際に貧しいだろうし、外国人からプレゼントをもらった子どもたちは素直に喜んだのだと思う。ただその喜びは、貧しいからではなく、子どもならではの異文化体験に対するものだったのかもしれない。家主の男にしても、今日、明日食えないような貧乏人として紹介されたわけではない。
問題は見せる側ではなく、見る側にある。見学している側が、「この人は貧しい人で大変な暮らしをしているんだ」と思ったに過ぎないのだ。相手に対して見たいものを投影して見ているだけなのだ。
ジャーナリスト・編集者
1977年、宮城県生まれ。考古学者崩れのジャーナリスト・編集者。無職、日雇労働、出版社勤務を経て、独立。著書に『アジア「罰当たり」旅行』(彩図社)、『世界の混沌を歩くダークツーリスト』(講談社)などがある。人気番組『クレイジージャーニー』(TBS系)に「危険地帯ジャーナリスト」として出演中。