「現実的に無理」ではなく可能性を問いたい

前回述べたように、学校教育の構造転換の必要は、今や明らかであるはずです。だとするなら、「現実には無理」とか、「そんなことは不可能だ」とかばかり言うのではなく、「どのような条件を整えればそれは可能になるか」を問い合いたいものだとわたしは思います。

先生のマインドや、先生自身が豊かな「探究」を経験する必要性、また教員養成や教育行政のあり方等、考えるべき条件は無数にありますが、これらの具体的なアイデアについては、ぜひ『「学校」をつくり直す』をお読みいただければと思います。

「プロジェクト(探究)」をカリキュラムの中核にして、それ以外の教えるべき内容はちゃんと網羅できるのか。そう疑問に思われる方もいるかと思います。

その心配はごもっともです。だから、ゆくゆくは──できることなら2030年ごろの学習指導要領においては──学習内容をぐっと“精選”し、本気で「探究」に振るための方向性を示す必要があると考えています。

現行制度においても「探究」を中核にするのは正当

ただ、その気になれば、現行の学習指導要領内であっても、「プロジェクト(探究)」の時間を4~6割程度確保することは可能なはずです。「総合的な学習の時間」が大々的に始まってからしばらく経ちますが、学習指導要領はさらに、さまざまな教科を横断した「合科的・関連的な指導」の必要性を明記しています。新学習指導要領の目玉の一つ、「カリキュラム・マネジメント」は、「教科横断的な視点から教育活動の改善を行っていく」ことを一つの柱にしています。カリキュラムの中核を「探究」にするのは、現行制度の観点から言っても、むしろまったく正当なことなのです。

苫野一徳(とまの・いっとく)
熊本大学教育学部准教授
1980年生まれ。博士(教育学)、専門は哲学、教育学。著書に『教育の力』(講談社現代新書)『どのような教育が「よい」教育か』(講談社選書メチエ)『勉強するのは何のため?』(日本評論社)他多数。全国の多くの自治体や学校等でアドバイザーも務める。現在、共同発起人として、幼小中学校が一体となった軽井沢風越学園の設立を準備中。
(写真=iStock.com)
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