「あらゆるところに情報が詰まっているというサービス」

一般人には銃を向けないともいっている。

「ターゲットは権力者か有名人。だから例えばロス疑惑もやらなかったし、酒鬼薔薇聖斗みたいな事件もほとんどやらなかった。和歌山のカレー事件もやらない。報道の検証だけにとどめる。常に政官財、マスコミ、文化人、オピニオンリーダーたちに批判の目を向ける。雑誌でいえば週刊誌の編集長は実名で書くけども、デスクはイニシャルで、平のことは書かない。一応うちなりの基準というか区分はしてるんですけどね」

今だから打ち明けるが、「噂真」に一度、某女と一緒のところを撮られたことがあった。幸い、掲載された写真はボケボケで誰だか判別不能だったが、このオレもターゲットだったんだと、一瞬、ギクリとしたことがあった。

ここでも私は、あの危ない「一行スキャンダル情報」は止めた方がいいといっているのだが、「僕の方針として読者サービスがすべて。とにかく誌面のあらゆるところに情報が詰まっているというサービス」だと譲らなかった。

当人のことを意識するとスキャンダルは書けない

私もスキャンダル大好きで、そのために多くの告訴を受けた。でも、これだけは聞いておきたかった。スキャンダルを書かれた当人のことは意識しないのか?

「よく聞かれるんだけど、書く側がそれを意識した時には、スキャンダルは書けないですよね。どんなことを書いても、必ず背後には奥さんや子供がいるわけじゃないですか。例えば渡辺淳一をいくら叩いたって、やっぱり奥さんがいる。それを意識してたら川島なお美のスキャンダルは書けない」

編集長日誌には、これ以外にも、私の出版記念会に出たこと、「経営塾セミナー」で対談したこと、月刊誌「サイゾー」で元週刊文春の花田紀凱と鼎談をしたことなどが書いてある。

この対談以降、たしか「噂真」の年末の号だったと記憶しているが、岡留と花田と3人で、その年のスキャンダルなどをテーマにした放言鼎談を何回か「噂真」編集部でやった。

付き合って分かったが、素顔の岡留は、シャイな心をサングラスで隠した、食えないが、いい男だった。

鼎談は、コンビニの弁当と缶ビールを飲みながらで、謝礼はない。こちらもそんなものを期待していないからいいのだが、たしか、休刊が決まり、最終号に近い号で最後の鼎談をした時だったと記憶している。

終わって編集部を出ようとすると、岡留が花田と私に封筒を渡すではないか。いいよ謝礼なんか、といったが、どうしても受け取れというので、もらって持っていた紙袋に放り込んだ。