「協議離婚」に慣れすぎている日本人
日本人は、家族に問題の解決を委ねてしまい、家族の出す結論を公的にチェックしない協議離婚などの制度に慣れてしまっている。一刻も早くDV加害者から逃れて子供と生活保護で平和に暮らしたいと切望する被害者が、加害者の離婚合意を得るために、金銭的な妥協はもちろん、形式的な親権の帰属についてさえ妥協することは珍しくない。仮にもし日本の協議離婚制度をフランスで立法しようとしたら、基本的人権を侵害する憲法違反として許されない離婚制度と評価される可能性もある。
明治民法が立法された頃には、まだ自営業を担う「家」が中心の社会で、人々は地域共同体や大家族に包摂されて生活していた。「家」の私的自治に委ねても、実家が力を持っていれば対等に交渉できたであろうし、地域共同体のいわゆる「世間」による家族介入もあり、親に問題があっても子供たちはまともな大人と触れあうことによって健康に成長できた。
このような大家族や地域社会での「群れによる育児」は、子育ての社会的安全弁となっていた。しかし家族を囲む環境の変化は著しく、産業構造の変化により都市化、職住の分離が生じて、それまでの「群れによる育児」が崩壊した。戦後の高度成長期には、サラリーマン階層が大規模に増加し、マンション等における都市生活においては近所づきあいも急速に失われ、家族が孤立するようになった。
家庭内暴力にも介入できない日本社会
近代化によって孤立した家族の生存を支えるために、必要な財とケアを社会福祉が担うようになったのが、西欧諸国の展開であるが、日本では、軽量な「日本型社会福祉」が採用された。財は、企業の常勤社員となった男性が生活給として獲得し、ケアは主婦が担うものとして、家族内の自助努力に任された。とりわけケアの側面で、家族へ介入する社会福祉は、日本では極めて貧弱である。
かくして日本社会は、孤立した家族に必要な社会的介入が行われない社会となった。特に深刻なのは、家庭における暴力の問題である。閉ざされた家庭内の暴力は、エスカレートしがちである。肉体的暴力はもちろん、経済的暴力や精神的暴力も、被害は大きい。
家庭の中にこのような暴力による支配の関係があると、子供の健康な共感能力の育成不全が生じる。子供の脳にも形態的な異常が生じ、その問題は成人後に長く尾を引く。かつての「群れによる育児」は、虐待があっても他の大人たちとの健康な交流によって子供の脳が回復する、自然な安全弁を提供していた。しかし閉ざされたコンクリの箱の中で育つ現代の子供たちには、もはやそのような安全弁はない。