親にとっての「当然」と、息子の言い分に大きな溝
戦前に育ち、結婚後は長男の嫁としての人生を送ったOさんにとって、倒れた後の身の振り方を息子に委ねることは、自明の家族観として根付いていた。だから、倒れた時どうするかについて、長男夫婦や長女と相談したり、医療に関する情報、医療制度や福祉・介護保険制度に関心を持つことなどもなかった。息子が最も適切な対応をしてくれると、根拠もなく信じていたからだ。しかし、息子の側から言えば、親が施設入所することが最善の解決策となる。施設なら、妻の手を煩わせることなく、金銭の支払いだけで、息子としての義務が果たせる。しかし、在宅生活が続くとなると、不慣れな介護サービスのコーディネイト、ヘルパーなど支援者との交渉、日々の見守り役などを妻に依頼せねばならない。その引き受けを妻が躊躇すれば、無理強いはできない。なぜなら、配偶者は息子にとって「妻」であって、「嫁」ではないからだ。
一方、財産という面では、通帳や権利書、実印を引き継げば、その時点から、所有権者は親ではなく自分で、それをどう使うかは自分の裁量で、文句を言われる筋合いはない。息子の跡継ぎ意識とはそういうものである。しかし、そうした振る舞いが、親や女きょうだいからは「優しくない」とみなされ、きょうだい間の葛藤と親の嘆きを深めていく。それがこうした事例に見られる特徴である。
「逆縁」で介護の段取りが一気に崩れた事例も
夫はPさんが68歳の時に死去、その後ひとり暮らし。88歳までは、世話好きで友人も多く、2人の娘たちの子育て(Pさんにとっては孫育て)の支援や、地域の世話役をして生き生きと暮らす「元気長寿者」だった。長女は隣の市、次女(61歳)が同一市内に居住。しかし88歳の時に、定年退職後、帰郷し同居する予定だった長男が死去。その悲嘆の中で、認知症を発症し、次女と同居を開始。
Pさんが倒れた後、同居し面倒をみてきた次女は、母親の88歳からの長寿期10年間の苦境を次のように語る。