「みんなちがって、みんないい」のか
みなさんの世代だともう当たり前すぎかもしれませんが、僕らの世代にとっては「一人ひとりがみんな違うのはいいことだ」という言葉には、新鮮な響きがありました。かつて、SMAPの「世界に一つだけの花」を聞いたときにも感動したものです。「そうさ僕らは/世界に一つだけの花/一人一人違う種を持つ♪」という歌詞を耳にして、素敵な歌だなと思いました。
金子みすゞの「みんなちがって、みんないい」という詩も、NHKの子ども番組ですっかり有名になりましたね。ちなみに、「世界に一つだけの花」の歌詞を書いた槇原敬之は、1991年に「どんなときも。」という曲を発表しています。そこで「僕が僕らしくあるために♪」と歌いました。「僕が僕らしくあるために」という言葉に、何か新しい時代の始まりを感じたのです。あっという間に当たり前になってしまいましたけどね。
違いを「認めてほしい」時代に
かつて世の中が差別だらけだった頃、「みんな同じ人間ではないか」と言うのは、とても勇気のいることでした。また、言われた方もうれしかったはずです。
ところが、みなさんは、どうでしょう。「みんな同じ人間だよね」と言われて、うれしいですか?
――うれしくない……。
別にとくにうれしくないですよね。感動もしないですよね。むしろ、みんな同じと言われると、なんだかいやな感じさえする。むしろ「一人ひとり違うのだから、その違いを認めてよ」、「少なくとも、他の人と同じ程度には、私の違いを認めてよ(変な言い方ですが)」と言うと思うのです。現在は、そういう時代なのです。平等の意味も、どんどん複雑になっています。
「自分とあの人はなぜ違うのか」ということが、みんな気になる。個人でも国でもそうです。いまや世界がつながって平等意識が高まる一方、誰もが「自分の違いを認めてほしい」と感じるようになっている。でも同時に、違いがあることに不満を感じてもいるのです。
人間ってわがままですね。違いがあるのを認めてほしいと思う一方で、なぜこんな違いがあるのか、おかしいではないかとも感じる。これがいまの僕たちの中にある、微妙な平等意識です。ここから種々の問題が生じます。でも、僕はこのような変化はけっして後もどりしないと思っています。
東京大学社会科学研究所 教授
1967 年東京都生まれ。1991 年東京大学法学部卒業。1996 年東京大学大学院法学政治学研究科博士課程修了。博士(法学)。専門は政治思想史、政治哲学。著書に、『デモクラシーを生きる―─トクヴィルにおける政治の再発見』(創文社)、『〈私〉時代のデモクラシー』(岩波新書)、『民主主義のつくり方』(筑摩選書)、『保守主義とは何か―─反フランス革命から現代日本まで』(中公新書)ほか多数。