3歳差、山口百恵と松田聖子が体現した生き様の差
次の時代の歌姫は、山口百恵(1959-)だろう。デビューは1973年、14歳のときだ。写真家の篠山紀信に「時代と寝た女」とまで言わしめた稀代のスターだ。芸能マスコミは彼女のヒット曲『ひと夏の経験』(1974年)の歌詞を引用し、当時、こんな質問攻めをしていたのを記憶している。
「女の子の一番、大切なものは何だと思いますか?」
10代の少女に「処女性」といった言葉を言わせたかったのだろう。だが、本人は「まごころ」で押し通した。そして、1980年3月、彼女は「私のわがままを許してくれてありがとう。幸せになります」の言葉を最後に、舞台にマイクを置いたのだ。
「わがまま」とは人気絶頂の中で「引退」をする行動を指している。この時代まで女性の「寿退社(=専業主婦化)」はごく当たり前のことだった。逆に結婚後も働き続けることのほうが違和感をもって受け止められていた。この頃、女性は「仕事」か「結婚」(または「育児」)という二者択一を迫られていた。
専業主婦という道を選んだ彼女は「伝説」となり、同年代の女性たちは「寿退社」への憧れを強めた。
そして、山口百恵と入れ替わるように、松田聖子(1962-)があらわれる。1980年デビューの彼女はバブル時代のスターダムを華々しく駆け上がっていった。
しかし、その道のりは平坦ではなかった。その言動が、同性から「男性に媚び、計算高い」と見られ、「ぶりっ子」とバッシングされた。それでも彼女はへこたれなかった。恋愛、結婚、出産、2度の離婚、再再婚、数々のスキャンダル……。そのたびに世の中を騒がせたが、歌手としての存在感は今も健在だ。夢も、仕事も、子どもも手に入れ、時代を切り開いた彼女に、筆者の世代は大いに憧れたはずだ。
「すべてを手に入れた」聖子のようには生きられない
「山口百恵」以前は、幸せになるために「第一志望」を取ったならば、そのほかの選択肢はあきらめなければいけなかった。しかし、わずか3歳年下の松田聖子は、そうした生き方に別れを告げ、「やりたいことがあるなら全部やる」「好きなことはすべて手放さない」という生き方を選んだ。その選択に対し、女性たちは共感し、支持したのだ。
しかしである。
一般人の場合、松田聖子のように「やりたいことがあるなら全部やる」と心の中で宣言しても、実際には厳しい現実にぶつかることになる。育児に仕事に家事、おまけに介護まで……。すべてを手に入れるのではない。むしろすべてを背負わされて、疲れ果ててしまう。いたるところにある「ガラスの天井」が、自分の頭を押さえつけてくるのだ。
それをじっと見ていたのが、次の世代だった。1977年生まれで、1992年にデビューした安室奈美恵だ。